小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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実際とは違う、強制連行

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 22:27 投稿番号: [47034 / 232612]
中国・韓国の歴史歪曲」   黄文雄   1997   光文社
たとえば、豊臣秀吉が天下統一後に行なった「太閤検地」は、歴史上の画期的なできごとであった。朝鮮総督府が行なった朝鮮の「土地調査」は、朝鮮史ではよく「土地強奪」とされているが、それはまったく次元の違う話である。近代国家としては、土地所有権の確定と、税制の確立は絶対に必要条件であるが、それは朝鮮総督府の税源の確保だけが目的ではなく、道路、鉄道、水力発電をはじめとするインフラ建設から近代農業の経営等々にも、正確な検地は絶対に必要であったのだ。

近代国家の最低条件の一つとしては、まず明確な領土領域状況の把握からはじまる。朝鮮は2000年の歴史を持つというわりには、農地の単位が曖昧にして原始的であった。たとえば「一斗落ち」とか「一日耕」という田畑面積単位があっても、単位計算が不明確で、農民の土地所有権も確立していなかった。いつ国家に没収され、あるいは追い出されるかわからない。土地は、たいてい圧倒的少数の貴族が所有し、農民と所有者の間に幾層もの中間管理人が介在していた。

だから度量衡の統一、地権の確立、人口調査、インフラ整備には、正確な土地調査が必要である。朝群総督府は、スタートと同時に土地の所有権、価格、地形地貌などの調査を開始し、1918年に完成をみた。正確な検地は、総督統治の朝鮮に対する最大の貢献の一つと数えるぺきであろう。

結果的には、多くの隠し田が発見された。当初、約272万町歩の農地が、検地の後に433万町歩にもなった。

韓国人学者は「土地の強奪」と主張するが、国策会社の「東洋拓殖」が買い占めた耕地面積は、約4%にすぎなかった。半数以上の農民の土地所有権が確立されたことが、歴史的事実である。台湾での日本資本の製糖会社が買い占めた10%以上の土地に比ぺても、わずかであった。それでも台湾においては「日帝の耕地強奪」という話を耳にしたことはなかった。



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.李氏朝鮮は自作農だけの国ではなく、多くが小作人でその割合はかなり高かった。当然ながら小作人に土地所有が認められることはない。
「図説   韓国の歴史」   1988   金両基   河出書房新社
晋州民乱(1862年)当時この地域の農民の農地所有関係を見ると、両班層や平民・賎民層の大部分が極端な零細農民であった。剰余生産物の蓄積が可能な中農層は全農家の15.5%ていどで、生計の維持すら不可能な貧農層が両班層では55.0%、平民・賎民階層では72.5%にもなっていた。かれらが農業生産を通して富を蓄積しようとすれば地主の小作地を借用せずにはいられなかったことを知ることができる。

朝鮮王朝末期の自作農が3〜4割で、小作農が6〜7割だったという農村調査報告は、このような現象の延長線上にあることをたやすく知ることができる。いわゆる三政紊乱(田税・軍役・還穀の乱れ)により生計に脅威を受けるのとは別に、すでにかれらはその農地所有において緊迫した状態に達していたことが知られるのである。
(中略)
乱の初期には封建官僚に対する攻撃が主であったが、乱が進行するにつれて地主層が攻撃の対象となっていった事実も、前に指摘した当時の土地所有関係において説明されうるだろう。



.朝鮮人地主が日本人自作農に土地を売ったため、小作農が土地を追い出されてしまったという事もあったであろう。
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在日コリアンは、朝鮮総督府の土地調査事業で土地を奪われた農民が、仕事を求めてやむなく日本に渡ってきたと主張していますが、当事者である在日1世の多くが土地調査事業が行なわれたことを知らないのです。
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