小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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長門の話が出ましたので

投稿者: masa4618 投稿日時: 2003/02/01 00:59 投稿番号: [46166 / 232612]
あまり知られていないことですが、戦争だけしていたわけではありません・・・

-戦史以外の長門-
戦史には残ってはいないが、実は関東大震災時、連合艦隊は
非常に目覚しい救援活動を展開している。

中国にあった連合艦隊は地震の報を聞くと、みなそれぞれ
各艦20ノット指定速力で横須賀へと向かったが
実際は各艦が単独航行のため、駆逐艦や軽巡洋艦などは遙か前方で
長門と陸奥を置いてゆき、遙か後方には水上機母艦などが続くといった
てんでばらばらの乱戦追撃戦の様相であったそうだ。

長門は一旦九州内之浦湾に入港し、陸奥と
遅れて入港してきた伊勢・日向の搭載していた
食料品や医療品などを移し変え、3艦は呉へ補給に向かい
長門は単艦で横須賀に向けて、救援物資満載で出航した。
入港から、再出航までわずか7時間であった。
その後は一路横須賀を目指し急航した。
その時の速力は戦闘速力の23ノットぐらい出して
走っていたと言うのだから、急航ぶりが分かろうというものだ。

横須賀を出た長門はそのまま東京の芝浦沖に投錨し
救援物資を下ろし、集結した海軍艦艇の指揮に当たった。
その他の艦は、京阪神地方に被災者の移送に従事したり
甲板まで米や麦を満載して補給に走ったり、復旧資材を届けたり
商船隊は中国へ罹災した中国人を送り届けたりと
震災で陸上交通が壊滅状態のなか、海軍と各船舶会社は
非常の協力体制で活躍をした。
長門は連合艦隊旗艦として、到着以来ずっと動かずにいたが
あらかた陸上の秩序が回復したのを
見届けてから芝浦沖から抜錨して、横須賀へと戻った。

戦史にも残っていない、あるいは関東大震災時の記述にも
ほとんど残ってはいない記録だが、海洋国の偉大な記憶である。


参考文献:大日本帝国海軍主要艦艇150・日本海軍総覧
      戦艦長門の生涯(阿川   弘之 著)
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