『脱北』の原点 『帰国事業』のウソ
投稿者: ringo_rn 投稿日時: 2003/01/31 13:09 投稿番号: [45970 / 232612]
『脱北』の原点
『帰国事業』のウソ
命かけた告発本
復刻へ
北朝鮮から中国へ脱出した日本人妻の帰国が週内にも実現しそうだが、元凶とな
った「帰国事業」を約四十年前に告発した在日朝鮮人がいた。「地上の楽園はウソ
だ」という彼の叫びは当時、ほぼ黙殺された。その「告発本」が三月にも復刻され
る。 (田原拓治)
復刻される著作は『楽園の夢破れて』(全貌社、一九六二年刊)と続編『真っ二
つの祖国』(同、六三年刊)。前者は九七年に復刻されたが今回、河出書房新社
(東京)が二冊を一冊に再編集することになった。
著者の関貴星(旧名・呉貴星)氏は一四年、日本の植民地下だった全羅南道・順
天(現韓国)に生まれ、日本に渡航。戦後は実業家である一方、社会主義者として
民族運動に加わり、五九年には在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部財政委
員にもなった。
関氏は五七年八月に岡山県平和代表団員の立場で、五九年十二月に始まった帰国
事業開始直後の六〇年八月には日朝協会使節団の一員として訪朝した。後に自分も
帰国し、祖国に尽くす心積もりだったという。
五七年の訪朝時に北朝鮮側との懇談会で「日本にいる朝鮮人の若者は希望を失っ
ている。祖国建設に役立てたらどんなに幸せになれるだろう」と発言。同氏はこれ
が後の帰国事業に結び付いたのでは、という自責の念にかられたという。
著作は六〇年の訪朝リポート、帰国者の手紙、帰国事業告発後に「スパイ」とレ
ッテルを張られ、在日社会で「村八分」にされた苦悩などで構成されている。
圧巻なのは訪朝リポートだ。使節団メンバーがどれだけ要請しても、当局は帰国
者と会わせない。それどころか、ホテルを訪ねてきた帰国者を追い返す。一人の日
本人妻は使節団との懇談の席で無言で泣き伏し、監視役の工作員が「感激のため」
と勝手に言い繕う。
夫が半年以上も「学習」に行って帰らないという別の日本人妻の言葉を聞き、関
さんはそれが収容所送りと直感する。移動列車の車中、北朝鮮を「楽園」と賛美し
た日本人評論家を帰国青年らが取り囲み「あなたにだまされ一生を棒に振った」と
責める場面もある。
■帰国者の手紙に失意と生活苦が
秘密裏に届いた帰国者の手紙にも失意と生活苦がにじむ。「お前が帰国したらき
っと柵(さく)のない監獄のような気がするでしょう」(実弟あて)、「余ってい
るものといえば、(朝鮮戦争の結果)未婚の女性ぐらいなものです。未婚で帰国し
た女性は皆困っています」(ある女性)、「私は朝鮮総連の一方的な宣伝に迷わさ
れて愛する夫を日本に置き去り帰国しました。万一この手紙が検閲を受け、私の生
命に危険があったとしても覚悟はしています」(女性)。
理想を砕かれた関氏は朝鮮総連幹部に直談判する。だが、幹部は「一般帰国者は
無知なんだ。それでいいんだ。なまじ本当のことを知らせると帰国者がなくなって
しまう」と突き放す。
それでも、関氏は帰国しても困らないように、と実情を同胞らに伝える。やがて
同氏は「反動」「公安の手先」とデマを流され、孤立する。出版に際しては朝鮮総
連の活動家に嫁いだ娘に「私たち夫婦とあなたの孫は一緒に死を選ぶしかない」と
訴えられたが、断腸の思いで親子の縁を切る。
関氏は七二年、脳出血で他界した。当時も帰国事業は継続しており、「北」より
も韓国の軍事政権が国際的な非難を受けていた。
長男で六〇年安保では全日本学生自治会総連合(全学連、主流派)の闘士で、現
在会社を経営する呉渡龍氏(62)は亡父を「苦労人ゆえにきつい性格だったが、
正義のためには一歩も引かない人」と評する。
「告発後、父はいつ襲撃されてもいいよう金庫に短銃を隠し、自決用の青酸カリ
を持っていた。復刻で父のおん念を晴らしたい。四十年前の父の主張は決して間違
っていなかった」
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20030129/mng_____tokuho__000.shtml
北朝鮮から中国へ脱出した日本人妻の帰国が週内にも実現しそうだが、元凶とな
った「帰国事業」を約四十年前に告発した在日朝鮮人がいた。「地上の楽園はウソ
だ」という彼の叫びは当時、ほぼ黙殺された。その「告発本」が三月にも復刻され
る。 (田原拓治)
復刻される著作は『楽園の夢破れて』(全貌社、一九六二年刊)と続編『真っ二
つの祖国』(同、六三年刊)。前者は九七年に復刻されたが今回、河出書房新社
(東京)が二冊を一冊に再編集することになった。
著者の関貴星(旧名・呉貴星)氏は一四年、日本の植民地下だった全羅南道・順
天(現韓国)に生まれ、日本に渡航。戦後は実業家である一方、社会主義者として
民族運動に加わり、五九年には在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部財政委
員にもなった。
関氏は五七年八月に岡山県平和代表団員の立場で、五九年十二月に始まった帰国
事業開始直後の六〇年八月には日朝協会使節団の一員として訪朝した。後に自分も
帰国し、祖国に尽くす心積もりだったという。
五七年の訪朝時に北朝鮮側との懇談会で「日本にいる朝鮮人の若者は希望を失っ
ている。祖国建設に役立てたらどんなに幸せになれるだろう」と発言。同氏はこれ
が後の帰国事業に結び付いたのでは、という自責の念にかられたという。
著作は六〇年の訪朝リポート、帰国者の手紙、帰国事業告発後に「スパイ」とレ
ッテルを張られ、在日社会で「村八分」にされた苦悩などで構成されている。
圧巻なのは訪朝リポートだ。使節団メンバーがどれだけ要請しても、当局は帰国
者と会わせない。それどころか、ホテルを訪ねてきた帰国者を追い返す。一人の日
本人妻は使節団との懇談の席で無言で泣き伏し、監視役の工作員が「感激のため」
と勝手に言い繕う。
夫が半年以上も「学習」に行って帰らないという別の日本人妻の言葉を聞き、関
さんはそれが収容所送りと直感する。移動列車の車中、北朝鮮を「楽園」と賛美し
た日本人評論家を帰国青年らが取り囲み「あなたにだまされ一生を棒に振った」と
責める場面もある。
■帰国者の手紙に失意と生活苦が
秘密裏に届いた帰国者の手紙にも失意と生活苦がにじむ。「お前が帰国したらき
っと柵(さく)のない監獄のような気がするでしょう」(実弟あて)、「余ってい
るものといえば、(朝鮮戦争の結果)未婚の女性ぐらいなものです。未婚で帰国し
た女性は皆困っています」(ある女性)、「私は朝鮮総連の一方的な宣伝に迷わさ
れて愛する夫を日本に置き去り帰国しました。万一この手紙が検閲を受け、私の生
命に危険があったとしても覚悟はしています」(女性)。
理想を砕かれた関氏は朝鮮総連幹部に直談判する。だが、幹部は「一般帰国者は
無知なんだ。それでいいんだ。なまじ本当のことを知らせると帰国者がなくなって
しまう」と突き放す。
それでも、関氏は帰国しても困らないように、と実情を同胞らに伝える。やがて
同氏は「反動」「公安の手先」とデマを流され、孤立する。出版に際しては朝鮮総
連の活動家に嫁いだ娘に「私たち夫婦とあなたの孫は一緒に死を選ぶしかない」と
訴えられたが、断腸の思いで親子の縁を切る。
関氏は七二年、脳出血で他界した。当時も帰国事業は継続しており、「北」より
も韓国の軍事政権が国際的な非難を受けていた。
長男で六〇年安保では全日本学生自治会総連合(全学連、主流派)の闘士で、現
在会社を経営する呉渡龍氏(62)は亡父を「苦労人ゆえにきつい性格だったが、
正義のためには一歩も引かない人」と評する。
「告発後、父はいつ襲撃されてもいいよう金庫に短銃を隠し、自決用の青酸カリ
を持っていた。復刻で父のおん念を晴らしたい。四十年前の父の主張は決して間違
っていなかった」
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20030129/mng_____tokuho__000.shtml
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.