拉致予定者は2000人だった?
投稿者: honngokunikaere 投稿日時: 2003/01/18 20:35 投稿番号: [42440 / 232612]
「2000人の日本人が拉致の対象だった」朝鮮労働党幹部が告白
東京に住む北朝鮮労働党幹部・A氏(55)は、70〜80年代にかけて表向きは在日
の北朝鮮系企業の社員として働きながら、一方では、党直轄の「学習組」の一員として精
力的に活動してきた。第一線を退いた後も日本にとどまり、北朝鮮本国と緊密な連携をと
ってきたが、拉致された日本人が死亡したとされたことは、日朝首脳会談まで知らされて
いなかったという。
そのA氏との一問一答だ。
――拉致工作に関わったのか?
「学習組の私の仲間は、各人が5人を教化し、北朝鮮へ連行(拉致)するようにと指令を
受けていた。5人の内訳は4人が韓国人もしくは在日韓国人で(注・A氏は頻繁に韓国を
訪ね、同地でも活動していた)、残り一人が日本人だった。平日の夜や休日には、これは
と目をつけた日本人を食事に誘ったり一緒に飲んだりして、さりげない会話の中で情報を
引き出していった」
――狙われた日本人の数は?
「少なくとも2000人の日本人を(拉致)対象に報告書が作成されていた。うち50〜
60人が連行されたと私は聞いている。その人たちはどうなったのか。8人が亡くなって
いたと聞くと暗澹たる気持ちになる」
――他の拉致工作者たちは?
「私は行方不明になっているという久米裕さんの工作を現場で指揮した人物をよく知って
いる。Bという学習組の一員だった。
当時、彼は“うまくいった”と話していたのに、なぜ行方不明と発表されたのか。北朝
鮮に送る途中で工作船が沈むといったトラブルに遭ったとしか考えられない。私は、B本
人に確認しようとしたが、かつての連絡先にはいなかった。現在の居場所を知る者もいな
い。
――疑うことはなかったのか。
「80年代初め、まだ拉致工作が行なわれていた頃、私の身にも“おかしい”と思う事態
が降りかかってきた。北朝鮮にいる私の親族が収容所に送られた。ちょっとした体制批判
の言葉を口にしただけで、即座に高圧電流の流れる有刺鉄線に囲まれた山深い収容所に入
れられた。
私はすぐ北朝鮮に渡り、党中枢の人物と交渉し、ようやく親族は解放された。数千万円
のカネを出し、工場施設を1つ作ってやるのが条件だった。今回、北朝鮮が拉致した日本
人を公表したのも、日本からカネを引き出すためなのです」
『週刊ポスト』
10月11日号
これは メッセージ 42351 (kimutoma さん)への返信です.
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