日本社会の特質 ・・・・・ 恥の文化
投稿者: b185472 投稿日時: 2002/12/30 21:38 投稿番号: [36499 / 232612]
罪の意識を感じない人間なんていやしない。罪悪感をどのような形で消化するのか、その形で人間の価値が決まってくる。
罪の意識が高ければ高いほど、人間はもがき苦しむ。だが安心して欲しい。光明がある。
人間には本来、罪をかえりみなくても良いという権限が与えられているからだ。罪を犯しても苦しむ必要はさらさらない。ただ罪をつぐなえば良いのである。
人はどのような理由から善行を行なうのであろうか?
人は罪をつぐないたいという動機があるときに善行を行なう。
これが欧米流の罪の文化の本質だ。
ベネディクトは日本の文化を、罪の文化に対立するものとして恥の文化と命名した。
「真の罪の文化が内面化された罪の自覚にもとづいて善行を行なうのにたいして、真の恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行なう」
日本人が善行を行なう動機は、外面的強制力があったときだ。自らすすんで善行を行なおうとするのではなく、強制されて始めて行なう。
労働にしてもそうだ。自らすすんで労働を行なうのではない。強制されて始めて労働を行う。
ボランティア活動にしてもそうだ。強制されて始めて行う。もしこの意見に異をとなえる人がいれば、収入の1割を寄付してからにして欲しい。欧米諸国では、収入の1割を赤十字社などに寄付するのが当たり前になっている。
天皇崇拝。これも強制されて行なう。だが天皇非難は注意して行ったほうが良い。公然と天皇制を非難しないほうが良い。殺される可能性があるからだ。
九州の長崎市に本島等 (市長) という人物がいた。彼はクリスチャンであり、罪の文化の持ち主であった。当然、恥の文化を非難し天皇制を非難した。そして右翼によって撃ち殺された (実際に死んだのは撃たれてかなかなりたってから)。
日本の天皇制は明治維新以降に今の閨閥によって設立されたものである。歴史は無い。せいぜい130年ほどだ。
それまでの天皇家の位置は、神道のシャーマンの位置であった。決して神ではなかったし、日本の中心でもなかった。
前の総理大臣、森は 「日本は天皇中心の神の国である」 と公言した。これが日本の本質である。おまけに恥の文化の国であるから、天皇崇拝は強制されている。従わなければ殺さるかもしれない。
天皇崇拝は内政の重要課題となっている。
もしこの意見が違うというのであれば、NHKが天皇家の報道を流していることの説明がつかなくなる。
NHKは国営放送であるにもかかわらず、閨閥が支配下におさめているから、公然と天皇家関連の報道を行っている。
政教分離は憲法の精神だ。NHKは公然と政教分離に反する行為を行い、しかも国民から視聴料を取っている。
明治維新で閨閥が勝手に作り出した、天皇家の誇大された権威の 【よいしょ】 を手伝っている。これはかなりおかしい。
日本古来の神道では、天皇の占める面積がとても小さかった。むしろ、お天道様であるとか、ご先祖様であるとか、滝などが神であるとされていた。
正月に初日の出をおがむ、これが神道本来の姿だ。
ご先祖様にお供え物をささげる、これが神道本来の姿だ。
神社におさいせんをあげ、願い事がかなうように祈願する。これが神道本来の姿だ。
日本古来の神道の風習に、天皇が出てくる余地は本当に小さい。天皇にスポットライトを当てたのは、統治能力に自信の無い閨閥であったのだ。長州の下級藩士が傀儡政権として天皇を利用し、今日に至るのである。現代の日本人は歴史の真実を知る必要がある。
大嘗祭 (だいじょうさい) はかなりおかしい。昭和天皇から平成天皇に代わるときのあの140億円もの国家予算を使った儀式は、過去の皇位移動の儀式にはなかった。閨閥が勝手にシナリオを書き、勝手に作り出したものだ。日本人をだますのもいい加減にしてほしい。
先の戦争で勇敢に戦い死んでいった日本兵は、天皇のために戦って命を落としたのではないということを強調しておきたい。彼らは家族を守るために、そして国土を守るために戦ったのである。決して、閨閥が勝手に作り出した天皇のために命を落としたのではない。
罪の意識が高ければ高いほど、人間はもがき苦しむ。だが安心して欲しい。光明がある。
人間には本来、罪をかえりみなくても良いという権限が与えられているからだ。罪を犯しても苦しむ必要はさらさらない。ただ罪をつぐなえば良いのである。
人はどのような理由から善行を行なうのであろうか?
人は罪をつぐないたいという動機があるときに善行を行なう。
これが欧米流の罪の文化の本質だ。
ベネディクトは日本の文化を、罪の文化に対立するものとして恥の文化と命名した。
「真の罪の文化が内面化された罪の自覚にもとづいて善行を行なうのにたいして、真の恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行なう」
日本人が善行を行なう動機は、外面的強制力があったときだ。自らすすんで善行を行なおうとするのではなく、強制されて始めて行なう。
労働にしてもそうだ。自らすすんで労働を行なうのではない。強制されて始めて労働を行う。
ボランティア活動にしてもそうだ。強制されて始めて行う。もしこの意見に異をとなえる人がいれば、収入の1割を寄付してからにして欲しい。欧米諸国では、収入の1割を赤十字社などに寄付するのが当たり前になっている。
天皇崇拝。これも強制されて行なう。だが天皇非難は注意して行ったほうが良い。公然と天皇制を非難しないほうが良い。殺される可能性があるからだ。
九州の長崎市に本島等 (市長) という人物がいた。彼はクリスチャンであり、罪の文化の持ち主であった。当然、恥の文化を非難し天皇制を非難した。そして右翼によって撃ち殺された (実際に死んだのは撃たれてかなかなりたってから)。
日本の天皇制は明治維新以降に今の閨閥によって設立されたものである。歴史は無い。せいぜい130年ほどだ。
それまでの天皇家の位置は、神道のシャーマンの位置であった。決して神ではなかったし、日本の中心でもなかった。
前の総理大臣、森は 「日本は天皇中心の神の国である」 と公言した。これが日本の本質である。おまけに恥の文化の国であるから、天皇崇拝は強制されている。従わなければ殺さるかもしれない。
天皇崇拝は内政の重要課題となっている。
もしこの意見が違うというのであれば、NHKが天皇家の報道を流していることの説明がつかなくなる。
NHKは国営放送であるにもかかわらず、閨閥が支配下におさめているから、公然と天皇家関連の報道を行っている。
政教分離は憲法の精神だ。NHKは公然と政教分離に反する行為を行い、しかも国民から視聴料を取っている。
明治維新で閨閥が勝手に作り出した、天皇家の誇大された権威の 【よいしょ】 を手伝っている。これはかなりおかしい。
日本古来の神道では、天皇の占める面積がとても小さかった。むしろ、お天道様であるとか、ご先祖様であるとか、滝などが神であるとされていた。
正月に初日の出をおがむ、これが神道本来の姿だ。
ご先祖様にお供え物をささげる、これが神道本来の姿だ。
神社におさいせんをあげ、願い事がかなうように祈願する。これが神道本来の姿だ。
日本古来の神道の風習に、天皇が出てくる余地は本当に小さい。天皇にスポットライトを当てたのは、統治能力に自信の無い閨閥であったのだ。長州の下級藩士が傀儡政権として天皇を利用し、今日に至るのである。現代の日本人は歴史の真実を知る必要がある。
大嘗祭 (だいじょうさい) はかなりおかしい。昭和天皇から平成天皇に代わるときのあの140億円もの国家予算を使った儀式は、過去の皇位移動の儀式にはなかった。閨閥が勝手にシナリオを書き、勝手に作り出したものだ。日本人をだますのもいい加減にしてほしい。
先の戦争で勇敢に戦い死んでいった日本兵は、天皇のために戦って命を落としたのではないということを強調しておきたい。彼らは家族を守るために、そして国土を守るために戦ったのである。決して、閨閥が勝手に作り出した天皇のために命を落としたのではない。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.