もしも私が
投稿者: remember140917 投稿日時: 2002/12/29 00:31 投稿番号: [35950 / 232612]
もしも私が、日本の敗戦時に20歳にもなっていなかった被差別部落の出身の少年なら、日本の敗戦を解放と感じたことだろう。
戦前の部落差別は相当ひどいものだったらしいと聞いたことがあるから。
そして、その後成長してから、戦後の民主化された社会の中でなお自分が差別されることを知り、差別する連中と戦うことを決意したならば、その先は2つに分かれたことだろう。
もしもロマンチストなら、革命により体制変革をすることを目指すだろう。
もしもリアリストなら、革命による体制変革には長い時間がかかり、しかも日本人の精神的な構造では革命に成功する確率は低いことを悟り、むしろ体制の内部でのし上がることを目指すだろう。
体制の内部でのし上がる時には、長い時間をかけて体制自体を改革させることなどは考えないだろう。
おそらくは、第二の敗戦により現在の体制を壊滅させ、今度はこれまで差別されてきた自分たちの側が支配者になり、これまで自分たちを差別してきた連中を下層民として虐げる道を目指すだろう。
現在の体制を堕落させ、腐敗させ、弱体化させるための工作を密かに行いながら、リアリストであればそこから自分自身も利益を得ることができるよう目論むことだろう。
そして、平和主義の仮面を被り、自分の属する国が決してまともな防衛力を持つことができないように仕向けながら、自分の国を攻撃してくれる国、自分の国に敗戦をもたらしてくれる国を密かに支え、援助するだろう。
もしもそんな人物が居たとしたら、そいつのことを何と呼べば良いのだろうか。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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