小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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天皇を権威の道具として利用しろ!

投稿者: exh1868 投稿日時: 2002/12/20 23:12 投稿番号: [33530 / 232612]
以下は本の引用です:


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裕仁は1989年1月7日、午前6時32分に亡くなった。

彼の逝き方にはどこか妙にオフィシャルなものがあった ・・・・・   絶望的な病いの最終局面がひそかに管理ないし整調されたかと思わせるものがあった。

後に、演出された死だった   ・・・・・   宮内庁が君主の死の瞬問まですべてを仕組んだ   ・・・・・   という説が巷でささやかれた。

今際のきわの87歳を、決められた日の決められた時間まで血液が流されつづけた一個の肉体として考えると、天皇の侍従からおぞましい印象をぬぐうことはできないが、そう考えた者は少なくなかったし、これを無視することはできない。


1988年秋に倒れる数年前から、裕仁は体力の衰えをみせていた。

一年前に手術を受け、その後は公の席に姿を見せることがいちだんと少なくなった。

見せたとしても、きわめて短時間になった。

その年の夏には、膵臓部の癌を患っていて容態がよくないという噂が流れた。

病名は広く知られていたが、それについて何かが語られることはなかった。

9月下旬のある日、宮内庁は短い発表をした。

「天皇陛下が吐血され、重体におちいられる」

彼の最悪の危機にあっても、天皇崇拝のカルトにも似た宮内庁は国民にたいして、これほど生々しく露骨な発表をしたことはなかった。

「Xデー」   (死亡日を示す役人風の暗号)   が近づいていた。


あの秋の記憶は、穏やかな雨が纏綿とつづいた数ヶ月間といったイメージである。

実際にはそうではなかっただろうが、皇居前に傘のパッチワークがとぎれなかったひとつづきの日々として甦る。

公式発表の直後から毎日、人の群れが現われるようになった。

恢復を祈る人びとがキャンバス地の長いテントの下、幾列ものテーブルに置かれた巻紙に記帳した。

立ちどまって門の中を覗きこむようにし、声を出して泣く人がいた。

お辞儀をする人、話しかける人、虚ろな表情で前方を見やる人もいた。

この情景は、1930年代の、似たような陰気な季節に撮られたあるニュース写真を思い出させた。

黒っぼいオーバーを着た男たちが三列に並び、皇居内へ通じる装飾を施した石の橋、二重橋に向かってお辞儀をしている。

あたかも戦争と歴史の半世紀を越えて、何も変わらなかったかのようだった。


1868年以来、多くのことが起こったが、いまだに、維新のリーダーたちが京都のみすぼらしい隠遁生活から移動させ、神であり近代的君主であると宣言したときに意図した権威の道具として、天皇を考えることができなくはない。


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『日本人だけが知らない日本のカラクリ』

新潮社2000年発行、p.228より引用、パトリック・スミス著   (米国人ジャーナリストで元ニューヨーク・タイムズ記者)
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