閨閥 (けいばつ) の記述の文献
投稿者: jig1868 投稿日時: 2002/11/30 00:43 投稿番号: [27608 / 232612]
日本の権力の中枢を捜しにかかったアメリカ対日協議会
(ACJ)
は、いとも容易にそれをさぐりあてることができた。
日本の南西部の派閥、長州と薩摩の歴史的な権力争いは、日本の政治史にのこる多くの曲折や転換を決定づけてきた。
岸が生まれた長州は、日本が封建制を廃し、明治維新と呼ばれる一連の改革により、1868年に新政府が発足して以来、日本の政治の流れのなかで多くの首相を生みそだてた。
岸とその弟佐藤栄作は、彼らの姻戚にあたり、保守本流の生みの親である吉田茂と同じ長州出身であった。
この著名な一族 (閨閥) は1946年から1972年の26年問のうち18年問政権にあり、20次にわたる戦後内閣のうち10次の内閣をひきいた (巻末資料7参照)。
しかし、この強力な閨閥の範囲は、日本の保守政治のゴッドファーザー、吉田茂とこの兄弟二人との関係に限られるものではなかった。
岸の長女は自民党の実力者、安倍晋太郎に嫁ぎ、弟の佐藤は戦前の満州国の高官、松岡洋右の姪と結婚した。
松岡は国際連盟脱退の際、日本の首席全権をつとめ、また第二次世界大戦中に独伊との提携によるファシスト・グループを形成する日独伊三国同盟を締結した人物として知られた。
岸の長男、信和は、日立製作所と日産自動車の創始者、鮎川義介のいとこの娘と結婚した。
鮎川は、戦前の財界の大御所、久原房之助の義理兄にあたる。
久原の10人の娘はそれぞれ有力な政治家および財界人と結婚した。
このなかには、衆議院議長をつとめた石井光次郎、東急杜長だった五島昇らの名前がある。
この閨閥は、石井光次郎の線から、ブリヂストン創業者、石橋正二郎の一族につながる。
驚くには値しないが、これら日本の実業界の大物たち全員が、いざというときには岸の後盾になった。
たしかに、このような富裕階級と政治家の馴れ合い的な結婚は、日本ではめずらしくはない。
しかし、岸が、戦後の日本の政治を支配することになるピラミツドの頂点に立ったのは、彼が特別な位置付けをされていたためだった。
米占領軍当局は、A級戦犯容疑者の岸を巣鴨で尋問した後、この戦前の超国家圭義者が戦後日本における共産主義の急激な拡大を阻止するために、役に立っことに気がっいた。
岸が児玉誉土夫、笹川良一とおなじ拘置所に留置されたのは、おそらくそのためであろう。
三人はそれぞれ絞首刑を免れることと引き換えに親米的な特殊任務を担った岸は政界において、児玉は右翼運動と政界のフィクサーとして、笹川は政腐公認の競艇の収益から得るカネを世界中にばらまく 「国際的な慈善家」 として。
長州一族のまとまりのよい政治勢力は、まさにACJとその一派がウォール街を中心とする米国東海岸のエリートの伝統的政治勢力と噛み合わせる相手として求めていたものだった。
もちろん彼らこそは、日本をパールハーバー爆撃とそれにつづく太平洋戦争に突入させた同じ面々であった。
『軍隊なき占領 (ウォール街が戦後を演出した)』 のp.112より引用。
新潮社1996年発行。G.デイビス、J.ロバーツ共著。
著者のG.デイビスは1996年現在、UPI通信社東京支局長。
日本の南西部の派閥、長州と薩摩の歴史的な権力争いは、日本の政治史にのこる多くの曲折や転換を決定づけてきた。
岸が生まれた長州は、日本が封建制を廃し、明治維新と呼ばれる一連の改革により、1868年に新政府が発足して以来、日本の政治の流れのなかで多くの首相を生みそだてた。
岸とその弟佐藤栄作は、彼らの姻戚にあたり、保守本流の生みの親である吉田茂と同じ長州出身であった。
この著名な一族 (閨閥) は1946年から1972年の26年問のうち18年問政権にあり、20次にわたる戦後内閣のうち10次の内閣をひきいた (巻末資料7参照)。
しかし、この強力な閨閥の範囲は、日本の保守政治のゴッドファーザー、吉田茂とこの兄弟二人との関係に限られるものではなかった。
岸の長女は自民党の実力者、安倍晋太郎に嫁ぎ、弟の佐藤は戦前の満州国の高官、松岡洋右の姪と結婚した。
松岡は国際連盟脱退の際、日本の首席全権をつとめ、また第二次世界大戦中に独伊との提携によるファシスト・グループを形成する日独伊三国同盟を締結した人物として知られた。
岸の長男、信和は、日立製作所と日産自動車の創始者、鮎川義介のいとこの娘と結婚した。
鮎川は、戦前の財界の大御所、久原房之助の義理兄にあたる。
久原の10人の娘はそれぞれ有力な政治家および財界人と結婚した。
このなかには、衆議院議長をつとめた石井光次郎、東急杜長だった五島昇らの名前がある。
この閨閥は、石井光次郎の線から、ブリヂストン創業者、石橋正二郎の一族につながる。
驚くには値しないが、これら日本の実業界の大物たち全員が、いざというときには岸の後盾になった。
たしかに、このような富裕階級と政治家の馴れ合い的な結婚は、日本ではめずらしくはない。
しかし、岸が、戦後の日本の政治を支配することになるピラミツドの頂点に立ったのは、彼が特別な位置付けをされていたためだった。
米占領軍当局は、A級戦犯容疑者の岸を巣鴨で尋問した後、この戦前の超国家圭義者が戦後日本における共産主義の急激な拡大を阻止するために、役に立っことに気がっいた。
岸が児玉誉土夫、笹川良一とおなじ拘置所に留置されたのは、おそらくそのためであろう。
三人はそれぞれ絞首刑を免れることと引き換えに親米的な特殊任務を担った岸は政界において、児玉は右翼運動と政界のフィクサーとして、笹川は政腐公認の競艇の収益から得るカネを世界中にばらまく 「国際的な慈善家」 として。
長州一族のまとまりのよい政治勢力は、まさにACJとその一派がウォール街を中心とする米国東海岸のエリートの伝統的政治勢力と噛み合わせる相手として求めていたものだった。
もちろん彼らこそは、日本をパールハーバー爆撃とそれにつづく太平洋戦争に突入させた同じ面々であった。
『軍隊なき占領 (ウォール街が戦後を演出した)』 のp.112より引用。
新潮社1996年発行。G.デイビス、J.ロバーツ共著。
著者のG.デイビスは1996年現在、UPI通信社東京支局長。
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