Re: 北と接触しておかしくなった人②
投稿者: komash0427 投稿日時: 2006/12/16 22:12 投稿番号: [229944 / 232612]
「北朝鮮クライシス」(日経新聞社刊)
第1章
「7月5日ドキュメント
弾道ミサイル発射」から一部抜粋――
首相官邸
官邸への第一報は午前3時40分前。内閣官房の危機管理担当スタッフの自宅の電話が一斉に鳴った。「弾道ミサイルが発射された」。あらかじめ登録されたコンピュータ音声による緊急通報システムだった。
「やっぱり撃ったか」。内閣官房内閣審議官、山浦耕志は舌打ちした。ワイシャツを着込み、ズボンをはくとすぐに外に飛び出した。髭を剃るのを忘れたことに気がついたが、諦めた。
山浦ら危機管理スタッフが住む東京・紀尾井町の待機宿舎は首相官邸から1キロ程度の距離。だが、徒歩ならゆうに20分はかかる。山浦は迷わず宿舎から清水谷公園へ抜ける長い階段を一気に駆け下り、客待ちタクシーに乗り込んだ。
官邸地下の危機管理センターに到着した山浦は早速、受話器を握った。内閣官房副長官の二橋正弘、内閣危機管理監の野田健に直ちに連絡を入れて「官邸対策室」設置の了解をとった。野田や内閣官房副長官補の柳沢協ニが駆けつける中、午前4時、官邸対策室が発足した。
関係閣僚の対応はいつになく迅速だった。北朝鮮の不穏な動きを事前に察知していたため、いざとなればハイヤー会社が自宅に迎えに来るよう手はずを整えていた。
午前4時。警察庁出身の秘書官、藤山雄二が官房長官の安倍晋三に電話で連絡。安倍は公用車ではなくはイヤーに飛び乗り、4時半に官邸入りした。このハイヤーこそミサイル発射の兆候を受け、官邸側が前日に「いつでも利用できるようにして欲しい」と周到に用意していたものだった。警備のSPは間に合わず、官邸に到着したときに安倍は護衛なしの状態だった。安倍の後を追うように防衛庁間の額賀福志郎、外相の麻生太郎が首相官邸に姿を見せた。
午前5時。安倍、額賀、麻生が情報分析の会議を始める。事実上の「安全保障会議」の開始だった。
「6時に官房長官が記者会見を開きますっ」。――。首相官邸の報道室がアナウンスをしたとき、記者団は慌てた。早朝のため、初動が遅れた一部の社は記者やカメラクルーが間に合いそうになかったからだ。ただ報道陣の不安をよそに、会見時間は揺れ動いた。安保会議を開催した後に行うという情報も乱れ飛んだ。
結局、この日、一回目となる安倍の記者会見が始まったのは6時17分。会見室に登場した安倍の表情はいつになく険しく、遠大に立つや否や「諸情報を勘案した結果・・・・・」と、事前に用意されたメモを一気に読み上げた。
「政府の対応振ぶりは改めて発表することとし、質問はその際にお受けしたい。以上」。メモを読み終え、記者会見を締めくくったはずの安倍だが、すぐにその場を立ち去ろうとせず、記者団から10回近くの質問を受けた。かつてない緊張感を安倍も新聞記者らも感じていた。
この直後の午前6時50分。官邸を駐日米大使のシーファーが訪ね、安倍と意見交換。米側は交渉窓口を「安倍」に一本化していた。6月15日に安倍とシーファーが大使公邸で朝食会を開いた際、大使は「ミサイルが発射されたら直後に米国が持っている情報を直接伝えたい。日米の連携をしっかり示そう」と持ちかけていた。
安倍はこの夜、ミサイルの再発射に備え、官邸に隣接する官房長官の公邸にこもった。秘書官も一緒に同行し、続々と集まる情報を安倍に上げた。
首相の小泉潤一郎が警察庁出身の秘書官、山崎裕人とともに公邸から官邸に現れたのは6時31分。報道陣の「報告を受けているか」との問いかけに、こわばった表情で右手を挙げて応えるだけだった。
首相への連絡はミサイル発射直後だった。3時38分、公邸で休んでいた小泉に米国から一報が入った。「発射されたミサイルはスカッド級か、ノドン」。米国の情報は正確だった。だが、首相秘書官、飯島勲はほかの秘書官に「あまり早く行くなよ」と伝えた。「ノドン一発くらいならあまり騒ぐ必要がない」と判断したためだ。安倍は北朝鮮貨客船「万景峰号」の入港禁止を含む制裁内容を発表する準備を進めていたが、飯島は「騒がずに、まずは事実関係だけを発表すればいい」と諭し、制裁措置の発表は、一回目の記者会見では見送られた。
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2度目の訪朝実現の際、官邸の朝鮮総連ルートの窓口を務めた飯島、2度の訪朝で将軍様の懐に抱かれ、新たな親北人士の顔ぶれに、前首相ともども加わってしまった。
首相官邸
官邸への第一報は午前3時40分前。内閣官房の危機管理担当スタッフの自宅の電話が一斉に鳴った。「弾道ミサイルが発射された」。あらかじめ登録されたコンピュータ音声による緊急通報システムだった。
「やっぱり撃ったか」。内閣官房内閣審議官、山浦耕志は舌打ちした。ワイシャツを着込み、ズボンをはくとすぐに外に飛び出した。髭を剃るのを忘れたことに気がついたが、諦めた。
山浦ら危機管理スタッフが住む東京・紀尾井町の待機宿舎は首相官邸から1キロ程度の距離。だが、徒歩ならゆうに20分はかかる。山浦は迷わず宿舎から清水谷公園へ抜ける長い階段を一気に駆け下り、客待ちタクシーに乗り込んだ。
官邸地下の危機管理センターに到着した山浦は早速、受話器を握った。内閣官房副長官の二橋正弘、内閣危機管理監の野田健に直ちに連絡を入れて「官邸対策室」設置の了解をとった。野田や内閣官房副長官補の柳沢協ニが駆けつける中、午前4時、官邸対策室が発足した。
関係閣僚の対応はいつになく迅速だった。北朝鮮の不穏な動きを事前に察知していたため、いざとなればハイヤー会社が自宅に迎えに来るよう手はずを整えていた。
午前4時。警察庁出身の秘書官、藤山雄二が官房長官の安倍晋三に電話で連絡。安倍は公用車ではなくはイヤーに飛び乗り、4時半に官邸入りした。このハイヤーこそミサイル発射の兆候を受け、官邸側が前日に「いつでも利用できるようにして欲しい」と周到に用意していたものだった。警備のSPは間に合わず、官邸に到着したときに安倍は護衛なしの状態だった。安倍の後を追うように防衛庁間の額賀福志郎、外相の麻生太郎が首相官邸に姿を見せた。
午前5時。安倍、額賀、麻生が情報分析の会議を始める。事実上の「安全保障会議」の開始だった。
「6時に官房長官が記者会見を開きますっ」。――。首相官邸の報道室がアナウンスをしたとき、記者団は慌てた。早朝のため、初動が遅れた一部の社は記者やカメラクルーが間に合いそうになかったからだ。ただ報道陣の不安をよそに、会見時間は揺れ動いた。安保会議を開催した後に行うという情報も乱れ飛んだ。
結局、この日、一回目となる安倍の記者会見が始まったのは6時17分。会見室に登場した安倍の表情はいつになく険しく、遠大に立つや否や「諸情報を勘案した結果・・・・・」と、事前に用意されたメモを一気に読み上げた。
「政府の対応振ぶりは改めて発表することとし、質問はその際にお受けしたい。以上」。メモを読み終え、記者会見を締めくくったはずの安倍だが、すぐにその場を立ち去ろうとせず、記者団から10回近くの質問を受けた。かつてない緊張感を安倍も新聞記者らも感じていた。
この直後の午前6時50分。官邸を駐日米大使のシーファーが訪ね、安倍と意見交換。米側は交渉窓口を「安倍」に一本化していた。6月15日に安倍とシーファーが大使公邸で朝食会を開いた際、大使は「ミサイルが発射されたら直後に米国が持っている情報を直接伝えたい。日米の連携をしっかり示そう」と持ちかけていた。
安倍はこの夜、ミサイルの再発射に備え、官邸に隣接する官房長官の公邸にこもった。秘書官も一緒に同行し、続々と集まる情報を安倍に上げた。
首相の小泉潤一郎が警察庁出身の秘書官、山崎裕人とともに公邸から官邸に現れたのは6時31分。報道陣の「報告を受けているか」との問いかけに、こわばった表情で右手を挙げて応えるだけだった。
首相への連絡はミサイル発射直後だった。3時38分、公邸で休んでいた小泉に米国から一報が入った。「発射されたミサイルはスカッド級か、ノドン」。米国の情報は正確だった。だが、首相秘書官、飯島勲はほかの秘書官に「あまり早く行くなよ」と伝えた。「ノドン一発くらいならあまり騒ぐ必要がない」と判断したためだ。安倍は北朝鮮貨客船「万景峰号」の入港禁止を含む制裁内容を発表する準備を進めていたが、飯島は「騒がずに、まずは事実関係だけを発表すればいい」と諭し、制裁措置の発表は、一回目の記者会見では見送られた。
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2度目の訪朝実現の際、官邸の朝鮮総連ルートの窓口を務めた飯島、2度の訪朝で将軍様の懐に抱かれ、新たな親北人士の顔ぶれに、前首相ともども加わってしまった。
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