金英男さんの発言要旨1
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2006/07/06 21:46 投稿番号: [228631 / 232612]
【平壌6日共同】横田めぐみさんの夫だった金英男さんらが6日、共同通信などとの会見で語った内容は次の通り。
▽めぐみさん
一、めぐみの第一印象は非常にかわいく、しとやかだった。めぐみが22歳の時に日本語を学ぶため出会った。初恋の人だった。相手が日本人なのでためらいもあったが、6カ月後に「結婚しよう。一緒に暮らそう」とプロポーズし、めぐみも喜んで同意してくれて、1986年8月に結婚した。
一、結婚生活は私としては幸福だった。めぐみは心を尽くして日本料理を作ってくれ、家族の話もしてくれた。結婚して最初の大みそかの夜、めぐみが赤ぶどう酒を買ってきて、部屋の明かりを消し2人で飲み交わした。
一、めぐみは自分の家の家系図、おじいさん、おばあさんなどを書いてくれた。父は銀行員で、あちこち転勤があり、広島にいたと聞いた。小さいころ、母に弟がほしいと言ったら、双子の弟が生まれたと言っていた。なつかしい生まれ故郷を再び見たいという話などをした。
一、めぐみは娘のウンギョン(ヘギョン)が生まれると喜び、育てるのに心血を注いだ。
一、めぐみの朝鮮語は非常に上手で、初めて会った時、びっくりした。朝鮮人の中でも区別がつかないほどだ。結婚生活ではほとんど朝鮮語を使った。
一、特殊機関の人間として自覚的に守らなければならないルールがある。その人間の過去を聞かず、知ろうともしないことだ。めぐみが北朝鮮にいつどうやって来たかは聞かず、めぐみも話そうとしなかった。夫婦間で話題にはならなかった。
一、結婚生活は特殊機関が一般的に使う平壌市順安区域大陽里地区で、蓮池薫さんや地村保志さんとも交流があった。
▽病気
一、結婚した時から頭痛がすると訴えていた。小さい時に頭にけがしたので、それではないかと言っていたが、それが交通事故なのか何なのかは記憶にない。
一、徐々に病的症状が現れた。最初は意に介さず、一般的治療をしたが、よくなったり悪くなったりで、できる治療はすべて尽くした。しかし好転せず、専門病院に入院しなければならなくなった。
一、回復しているのではと思っていたが、突然に死亡を告げられ、信じられなかった。胸痛む思いで、もっと面倒みてやればよかったのにという罪の意識と後悔の意識にさいなまれた。
一、病院は平壌市の四九号病院で、死亡したのは94年4月13日。めぐみの両親に手紙を書いた際は、あわてていたので日付を錯覚していた。手紙に「93年」と書いたことも覚えていなかった。
一、手紙は拉致問題が提起された時に、一度は自分で書いたが、特殊機関勤務なので筆跡が公開されるのではないかと思い、関係部門の人に書き写してくれと頼んだ。
一、蓮池さんや地村さんの助けで病院に行ったが、彼らにはめぐみが病院で治療を続けていると信じてもらった方がいいのではないかと思い、めぐみが死んだことは伝えなかった。ウンギョンにもめぐみの病気について、あまり知らせたくなかった。
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▽めぐみさん
一、めぐみの第一印象は非常にかわいく、しとやかだった。めぐみが22歳の時に日本語を学ぶため出会った。初恋の人だった。相手が日本人なのでためらいもあったが、6カ月後に「結婚しよう。一緒に暮らそう」とプロポーズし、めぐみも喜んで同意してくれて、1986年8月に結婚した。
一、結婚生活は私としては幸福だった。めぐみは心を尽くして日本料理を作ってくれ、家族の話もしてくれた。結婚して最初の大みそかの夜、めぐみが赤ぶどう酒を買ってきて、部屋の明かりを消し2人で飲み交わした。
一、めぐみは自分の家の家系図、おじいさん、おばあさんなどを書いてくれた。父は銀行員で、あちこち転勤があり、広島にいたと聞いた。小さいころ、母に弟がほしいと言ったら、双子の弟が生まれたと言っていた。なつかしい生まれ故郷を再び見たいという話などをした。
一、めぐみは娘のウンギョン(ヘギョン)が生まれると喜び、育てるのに心血を注いだ。
一、めぐみの朝鮮語は非常に上手で、初めて会った時、びっくりした。朝鮮人の中でも区別がつかないほどだ。結婚生活ではほとんど朝鮮語を使った。
一、特殊機関の人間として自覚的に守らなければならないルールがある。その人間の過去を聞かず、知ろうともしないことだ。めぐみが北朝鮮にいつどうやって来たかは聞かず、めぐみも話そうとしなかった。夫婦間で話題にはならなかった。
一、結婚生活は特殊機関が一般的に使う平壌市順安区域大陽里地区で、蓮池薫さんや地村保志さんとも交流があった。
▽病気
一、結婚した時から頭痛がすると訴えていた。小さい時に頭にけがしたので、それではないかと言っていたが、それが交通事故なのか何なのかは記憶にない。
一、徐々に病的症状が現れた。最初は意に介さず、一般的治療をしたが、よくなったり悪くなったりで、できる治療はすべて尽くした。しかし好転せず、専門病院に入院しなければならなくなった。
一、回復しているのではと思っていたが、突然に死亡を告げられ、信じられなかった。胸痛む思いで、もっと面倒みてやればよかったのにという罪の意識と後悔の意識にさいなまれた。
一、病院は平壌市の四九号病院で、死亡したのは94年4月13日。めぐみの両親に手紙を書いた際は、あわてていたので日付を錯覚していた。手紙に「93年」と書いたことも覚えていなかった。
一、手紙は拉致問題が提起された時に、一度は自分で書いたが、特殊機関勤務なので筆跡が公開されるのではないかと思い、関係部門の人に書き写してくれと頼んだ。
一、蓮池さんや地村さんの助けで病院に行ったが、彼らにはめぐみが病院で治療を続けていると信じてもらった方がいいのではないかと思い、めぐみが死んだことは伝えなかった。ウンギョンにもめぐみの病気について、あまり知らせたくなかった。
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