もしも前もって暗号など使って通信し合って
投稿者: vvvvvvvvvvvvv11 投稿日時: 2006/04/03 11:13 投稿番号: [227530 / 232612]
いたとすると、ヒットラーが遺書を書いたとされる1945年4月29日は、月の満ち欠けで見た場合、やみ夜の最初の日で、
その後、三日間は、やみ夜が続く、そんな環境だったようですから、気球の出発日とするには、ちょうどだったかも知れませんよね。
その気球が、奥満州の日本人学校周辺に現れたとき、夕方の四時頃だったそうですから、もしも気球がゴビ砂漠を通ったとすると、その前にチベットを通ったとき、夜が明けていたのかも知れません。
ただ、残念なことに、その気球が現れた、はっきりした日時は分からないそうです。その方の記憶によれば、暑くもなく寒くもない、そんな日だったそうで、五月頃ではないかと、そのようなことをおっしゃっていました。
また、たくさんの日本人たちが、その気球を見たはずなのに、たった一人の当時そうとう若かったはずと思われる男性以外は、目撃者がいないことは、彼らのすべてが、皆殺しされたことを示していると言えないでしょうか。
朝鮮戦争後、南北に分かれた北朝鮮からは、日本向けに暗号のような放送が流れているそうですが、それも、もしかしたら旧日本軍の名残なのかも知れませんよね。
これは メッセージ 227493 (vvvvvvvvvvvvv11 さん)への返信です.
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