Re: 横から失礼します
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2006/03/30 22:29 投稿番号: [227457 / 232612]
>国の関与については難しいですね。国にこそ手厚く祀ってもらいたいという考えもあるし、政治に関与されたくない気持ちもある。
また例の浪曲歌謡に戻りますが、九段にお参りを済ませた老母が満足して国に帰る事ができるのは、靖国神社が永遠に息子をお祭りしてくださると信じるからです。息子が与えられたのと同じ名誉が戦死者に対して贈られ、日本がある限り永遠に続くからこそ、大事な息子を亡くした怨嗟、悲しみが和らげられるのです。そして祀られる方は国のために命を亡くしたのです。だから、国はたとえ戦乱が絶え、平和が続く時代になってもこの方々の慰霊、顕彰は絶やしてはならない。これは亡くなった方と、国との暗黙の契約です。そして慰霊のやり方は靖国神社が始まったときのやり方が厳格に守られなければならないと思う。これこそが政治が関与してはならない一番大事な点です。
>切ないほど美しく優しいはずの神道が、国家の関与により国家神道という穢れた化け物を作り出してしまったことがあります。
明治の日本が靖国神社を中心にした国営の神道を作り出したのは、その時代の必然があったからです。維新は日本が欧米の植民地となることを拒否する事で始まりました。治外法権を認めてしまったり関税自主権がなかったりで半植民地でしたが、日露戦争に勝って不平等な状態を改善できた。植民地にならないためには外国とも戦わなければならない。死者が出れば慰霊をどうするかという問題も起こる。
日本が一体となって欧米に対抗できる強力な国家になるためには精神的な支柱が必要だった。それでまず天皇陛下を国家の中心におき、国民の精神を束ねる媒介として神道を使った。国家神道が日本を世界に例のない強力な国家を作り出す紐帯となったのです。日本が負けてアメリカが真っ先に取り組んだのが国家神道の解体だった。
私は国家神道が日本の近代化にとって必然だったと思うので、穢れた化け物という言葉は使いたくないのですが、古来の神道のあり方とは全く別のものであるとは思います。敗戦によって消滅してしまいましたが、祀られる方々と国との約束事も消滅してしまったわけではありません。昭和40年くらいまで、国家護持を求めて2000万人を超える署名が集まったそうです。つまり国がしっかりと顕彰せよという世論がまだまだ強かった。今は全くその声を聞きません。その結果日本が退廃の極みに陥る事になってしまいました。
国が戦死者を顕彰する事は、愛国心を説くよりも大事な事だと思います。国のために命をなげうった人を顕彰する事、そしてそのために歳費を使い施設を維持することがなければ国民に国のためにという意識なんか生まれないと思う。戦いで命を無くすという事は地域のボランティアに奉仕するのとはわけが違います。褒美や表彰を求めない無私の行為などではない。
国のために命を捧げた人を顕彰するという事は、じつは人間にとっての倫理観、道徳の根源をつくると思います。つまり国、共同体のために命を捧げるという事は究極の善行為です。究極の善行為を行ったものに対して、共同体は名誉を与え顕彰しなければ共同体の構成員はなにを価値としていいのかわからなくなる。イモラルに陥ります。日本の今の退廃の淵源の一つがここにあると思います。
靖国神社に崇敬と鎮魂という二つの機能があるのと同じように、戦死者の慰霊にも両側面がある。私は戦死者に対しては、今の平和を作っていただいた事に感謝するという立場を守る事で、危険な側面というと批判があるかもしれませんが、それをコントロールできると思います。
また例の浪曲歌謡に戻りますが、九段にお参りを済ませた老母が満足して国に帰る事ができるのは、靖国神社が永遠に息子をお祭りしてくださると信じるからです。息子が与えられたのと同じ名誉が戦死者に対して贈られ、日本がある限り永遠に続くからこそ、大事な息子を亡くした怨嗟、悲しみが和らげられるのです。そして祀られる方は国のために命を亡くしたのです。だから、国はたとえ戦乱が絶え、平和が続く時代になってもこの方々の慰霊、顕彰は絶やしてはならない。これは亡くなった方と、国との暗黙の契約です。そして慰霊のやり方は靖国神社が始まったときのやり方が厳格に守られなければならないと思う。これこそが政治が関与してはならない一番大事な点です。
>切ないほど美しく優しいはずの神道が、国家の関与により国家神道という穢れた化け物を作り出してしまったことがあります。
明治の日本が靖国神社を中心にした国営の神道を作り出したのは、その時代の必然があったからです。維新は日本が欧米の植民地となることを拒否する事で始まりました。治外法権を認めてしまったり関税自主権がなかったりで半植民地でしたが、日露戦争に勝って不平等な状態を改善できた。植民地にならないためには外国とも戦わなければならない。死者が出れば慰霊をどうするかという問題も起こる。
日本が一体となって欧米に対抗できる強力な国家になるためには精神的な支柱が必要だった。それでまず天皇陛下を国家の中心におき、国民の精神を束ねる媒介として神道を使った。国家神道が日本を世界に例のない強力な国家を作り出す紐帯となったのです。日本が負けてアメリカが真っ先に取り組んだのが国家神道の解体だった。
私は国家神道が日本の近代化にとって必然だったと思うので、穢れた化け物という言葉は使いたくないのですが、古来の神道のあり方とは全く別のものであるとは思います。敗戦によって消滅してしまいましたが、祀られる方々と国との約束事も消滅してしまったわけではありません。昭和40年くらいまで、国家護持を求めて2000万人を超える署名が集まったそうです。つまり国がしっかりと顕彰せよという世論がまだまだ強かった。今は全くその声を聞きません。その結果日本が退廃の極みに陥る事になってしまいました。
国が戦死者を顕彰する事は、愛国心を説くよりも大事な事だと思います。国のために命をなげうった人を顕彰する事、そしてそのために歳費を使い施設を維持することがなければ国民に国のためにという意識なんか生まれないと思う。戦いで命を無くすという事は地域のボランティアに奉仕するのとはわけが違います。褒美や表彰を求めない無私の行為などではない。
国のために命を捧げた人を顕彰するという事は、じつは人間にとっての倫理観、道徳の根源をつくると思います。つまり国、共同体のために命を捧げるという事は究極の善行為です。究極の善行為を行ったものに対して、共同体は名誉を与え顕彰しなければ共同体の構成員はなにを価値としていいのかわからなくなる。イモラルに陥ります。日本の今の退廃の淵源の一つがここにあると思います。
靖国神社に崇敬と鎮魂という二つの機能があるのと同じように、戦死者の慰霊にも両側面がある。私は戦死者に対しては、今の平和を作っていただいた事に感謝するという立場を守る事で、危険な側面というと批判があるかもしれませんが、それをコントロールできると思います。
これは メッセージ 227451 (midorinokaze16 さん)への返信です.