Re: 大阪で 地殻変動始まる
投稿者: prefgovernor 投稿日時: 2006/02/28 19:07 投稿番号: [226639 / 232612]
近畿財務局と大阪市の関係職員のみなさま、ご家族様
エールを送ります。
がんばれ、がんばれ、近畿財務局! フレー、フレー、大阪市!
日本を取り戻そう!!! 日本、チャチャチャ!
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「大阪府政発祥の地」今は民家 不法占有50年放置 2006年02月28日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200602280006.html
大阪市西区の府有地に16軒の民家が無許可で建てられ、50年以上にわたって不法占有を府が黙認していたことがわかった。明治、大正期に府庁舎が置かれた「府政発祥の地」でもあり、資産価値は30億円を超えるとみられる。財政難の府は07年度までに、こうした遊休資産を集中的に売却する計画だが、この一帯については長年のずさん管理がたたり、住民らが退去するめどは立っていない。
問題の府有地は、西区江之子島2丁目の1.7ヘクタール。うち北東部分の約900平方メートルに民家16軒が立ち並んでいる。
この土地には、1874(明治7)年、江戸時代の西町奉行所(大阪市中央区本町橋付近)を活用していた府庁舎に代わる初の本格庁舎として、2階建てれんが造りの洋館が建てられた。府庁は1926年に中央区大手前に移転。その後は00年まで府立産業技術総合研究所(旧府工業奨励館)などが置かれた。
8年連続の赤字財政が続く府は、05〜07年度に府有地の売却などで計420億円を確保する計画を立案。この府有地についても、「府が持つ数少ない一等地」(府幹部)で、昨春から民間企業への売却を検討し始めた。30億〜40億円の売却益を見込んでいる。
敷地内の民家は終戦直後、戦災で家を失った市民らが府と契約を交わさないまま、次々に建てたとみられる。航空写真では、53年には民家の存在が確認できる。
しかし、府は86年まで研究所などの土地所有権を法的に確立させる手続きを怠っていた。近畿財務局や大阪市と協議し、91年に土地境界の画定や登記手続きをした際、現地の実態調査で民家の占有が「判明」。その段階ですでに、住民側が12軒の民家について建物の登記を済ませていた。
その後、民家の老朽化などで住民は相次いで離れた。現在は、未登記の1軒に夫婦2人が住むほか、空き家になっている。住民の男性(72)は約10年前、府に相談を持ちかけたが、「府の方針が決まれば、話し合いをする」と回答を先延ばしされたという。
男性は「不法占拠から脱したいのに、府が対応してくれなかった。今さら引っ越しはつらい」と話す。
また、登記簿などによると、他の民家については01年以降に転売が繰り返され、現在の所有者は2人に集約された。うち1人は「建物登記がある以上、不法占有とは思っていない」という。
府管財課は「長年居住してきた事実もあり、立ち退き交渉などの対応をしないまま、居住を黙認してきてしまった」と認める。売却計画が固まりしだい、立ち退き交渉を持ちかけるという。
◇
〈旧大阪府庁〉 江戸幕府の元西町奉行所に置かれた初代府庁が手狭になり、1872年から西区江之子島で建設が始まった。当時の外国人居留地と川を挟んだ対岸にあり、欧米諸国との交流に適していることから選ばれたという。西洋建築で、正面玄関に4本の大円柱が並び、屋上中央のドームに大時計を備えた。錦絵にも描かれ、府民からは「江之子島政府」と呼ばれた。1926年、現庁舎に移転後は府工業奨励館として利用されたが、45年の空襲で全焼した。
がんばれ、がんばれ、近畿財務局! フレー、フレー、大阪市!
日本を取り戻そう!!! 日本、チャチャチャ!
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「大阪府政発祥の地」今は民家 不法占有50年放置 2006年02月28日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200602280006.html
大阪市西区の府有地に16軒の民家が無許可で建てられ、50年以上にわたって不法占有を府が黙認していたことがわかった。明治、大正期に府庁舎が置かれた「府政発祥の地」でもあり、資産価値は30億円を超えるとみられる。財政難の府は07年度までに、こうした遊休資産を集中的に売却する計画だが、この一帯については長年のずさん管理がたたり、住民らが退去するめどは立っていない。
問題の府有地は、西区江之子島2丁目の1.7ヘクタール。うち北東部分の約900平方メートルに民家16軒が立ち並んでいる。
この土地には、1874(明治7)年、江戸時代の西町奉行所(大阪市中央区本町橋付近)を活用していた府庁舎に代わる初の本格庁舎として、2階建てれんが造りの洋館が建てられた。府庁は1926年に中央区大手前に移転。その後は00年まで府立産業技術総合研究所(旧府工業奨励館)などが置かれた。
8年連続の赤字財政が続く府は、05〜07年度に府有地の売却などで計420億円を確保する計画を立案。この府有地についても、「府が持つ数少ない一等地」(府幹部)で、昨春から民間企業への売却を検討し始めた。30億〜40億円の売却益を見込んでいる。
敷地内の民家は終戦直後、戦災で家を失った市民らが府と契約を交わさないまま、次々に建てたとみられる。航空写真では、53年には民家の存在が確認できる。
しかし、府は86年まで研究所などの土地所有権を法的に確立させる手続きを怠っていた。近畿財務局や大阪市と協議し、91年に土地境界の画定や登記手続きをした際、現地の実態調査で民家の占有が「判明」。その段階ですでに、住民側が12軒の民家について建物の登記を済ませていた。
その後、民家の老朽化などで住民は相次いで離れた。現在は、未登記の1軒に夫婦2人が住むほか、空き家になっている。住民の男性(72)は約10年前、府に相談を持ちかけたが、「府の方針が決まれば、話し合いをする」と回答を先延ばしされたという。
男性は「不法占拠から脱したいのに、府が対応してくれなかった。今さら引っ越しはつらい」と話す。
また、登記簿などによると、他の民家については01年以降に転売が繰り返され、現在の所有者は2人に集約された。うち1人は「建物登記がある以上、不法占有とは思っていない」という。
府管財課は「長年居住してきた事実もあり、立ち退き交渉などの対応をしないまま、居住を黙認してきてしまった」と認める。売却計画が固まりしだい、立ち退き交渉を持ちかけるという。
◇
〈旧大阪府庁〉 江戸幕府の元西町奉行所に置かれた初代府庁が手狭になり、1872年から西区江之子島で建設が始まった。当時の外国人居留地と川を挟んだ対岸にあり、欧米諸国との交流に適していることから選ばれたという。西洋建築で、正面玄関に4本の大円柱が並び、屋上中央のドームに大時計を備えた。錦絵にも描かれ、府民からは「江之子島政府」と呼ばれた。1926年、現庁舎に移転後は府工業奨励館として利用されたが、45年の空襲で全焼した。
これは メッセージ 145154 (prefgovernor さん)への返信です.