Re: >「横田めぐみ物語」米国市民の反響
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2006/01/31 23:33 投稿番号: [225421 / 232612]
朝日新聞のコラムに、こんな記事がありました。一部抜粋します。
>8月に没した山本政弘氏は元社会党副委員長。海軍主計大尉だった彼は、終戦前後の1年ほどフィリピン・ネグロス島で部下を率い、死地をさまよった。レイテ島で捕虜生活を送り、危うく処刑されそうにもなる。軍隊への抜きがたい不信から、戦後は平和主義者として政治の道を歩んだ。
晩年、生々しい体験をつづった『昭和への遺恨』(しらかば工房)は、次のような記述であふれている。
「暗い密林で、大蛇、毒蛇、猿、トカゲ、万年筆そっくりの毒虫、山蛭(やまひる)の類がいた」。吸血虫が「皮膚について離れない。わずかな隙(すき)からでも這(は)いり込み……朝起きると眼(め)や口の中まで吸いつき、丸くなって離れない」。
米軍の攻撃にやられて「右田上曹は飛び出した腸を無言のまま腹の中に押し込もうとしている。富田一水は『足がないよう、足がないよう』と、泣くように叫んでいる。ふくら脛(はぎ)からアキレス腱(けん)まで削り取られ、足の甲が後ろ向きになっている」。
米兵が戦場に残した抗生物質で命拾いしたことがある。それに比べ、どんな苦境に追い込まれようが、何の対策も手当てもないまま、ただ「死守せよ」の命令を下す自軍の司令部……。戦後も半世紀以上、ずっと精神的傷跡にさいなまれてきたと述懐していた。
(略)
>例えば建設相などを務め、89年に亡くなった亀岡高夫氏は元陸軍少佐。ジャワ、ガダルカナル、インパールなどの激戦で何度も部隊の指揮をとり、部下の大部分を失った。自らも重傷を負い、体にはなお弾片が残っていたが、こうした痛恨の体験こそが政治活動の原点だと言っていた。
自民党幹事長をして85年に没した田中六助氏は、特攻隊で教官をした話をよくした。83年、衆院本会議で中曽根首相に質問してこう述べている。
「私は特攻隊員として実戦に参加しました。多くの戦友、同僚、教え子、部下を雲流るる果てに散華させました。無残なことです」。失った同僚の中に中曽根氏の実弟がいたことも明かして、議場がしんみりしたものだ。
亀岡氏も田中氏も、自民党にあって憲法9条を大事にする平和主義者だと自任していた。
http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200512260067.html
私は北朝鮮に対しては実力を行使しても拉致被害者を救い出したいと考える者です。実力行使には当然犠牲が伴うでしょう。しかし犠牲を出しても守らなければならないものはあるのです。しかし一方で亀岡氏や田中氏のような記憶も忘れてはいけない。
亀岡氏や田中氏が平和主義者を任じることができたのは、敗戦後が日本にとって幸福な時代だったからかもしれません。戦後も北朝鮮のように戦争状態を継続しているかのような国もあります。苦難の後にさらに苦難が続くというのは人にも国にも希なことではないでしょう。
田中氏や亀岡氏の記憶にあるような国民を、二度と生み出してはいけません。それは言うまでもないことです。しかしいまだに北朝鮮のような国がある以上、非常の場合に犠牲が出るのはあり得ることです。外国に開かれた近代国家として歩むのは、こうした非常に微妙なバランスの上を歩まなくてはならないことでもある。そして、この危ういバランスの平衡を保ってくれるのが靖国神社です。
私たちは大戦の悲惨を繰り返してはならない。これは亡くられた方々の願いでもあります。再び我々の苦しみを繰り返すな、と。同時にこの方々に、国を犯す者達から守ってもらわなければならない。戦うのは私たちです。この方々の思いを胸に自分の力で日本を守らねばならない。
靖国神社とは近代日本にとり極めて大事な神社であります。この祭りが乱れることは日本の乱れでもある。日本が外国に開かれた国である限り靖国に祀られる御霊は生き続けます。この方々の祭りは絶対絶やしてはならない。この方々が本当におやすみになるのは、日本が再び国を閉ざすときでしょう。
>8月に没した山本政弘氏は元社会党副委員長。海軍主計大尉だった彼は、終戦前後の1年ほどフィリピン・ネグロス島で部下を率い、死地をさまよった。レイテ島で捕虜生活を送り、危うく処刑されそうにもなる。軍隊への抜きがたい不信から、戦後は平和主義者として政治の道を歩んだ。
晩年、生々しい体験をつづった『昭和への遺恨』(しらかば工房)は、次のような記述であふれている。
「暗い密林で、大蛇、毒蛇、猿、トカゲ、万年筆そっくりの毒虫、山蛭(やまひる)の類がいた」。吸血虫が「皮膚について離れない。わずかな隙(すき)からでも這(は)いり込み……朝起きると眼(め)や口の中まで吸いつき、丸くなって離れない」。
米軍の攻撃にやられて「右田上曹は飛び出した腸を無言のまま腹の中に押し込もうとしている。富田一水は『足がないよう、足がないよう』と、泣くように叫んでいる。ふくら脛(はぎ)からアキレス腱(けん)まで削り取られ、足の甲が後ろ向きになっている」。
米兵が戦場に残した抗生物質で命拾いしたことがある。それに比べ、どんな苦境に追い込まれようが、何の対策も手当てもないまま、ただ「死守せよ」の命令を下す自軍の司令部……。戦後も半世紀以上、ずっと精神的傷跡にさいなまれてきたと述懐していた。
(略)
>例えば建設相などを務め、89年に亡くなった亀岡高夫氏は元陸軍少佐。ジャワ、ガダルカナル、インパールなどの激戦で何度も部隊の指揮をとり、部下の大部分を失った。自らも重傷を負い、体にはなお弾片が残っていたが、こうした痛恨の体験こそが政治活動の原点だと言っていた。
自民党幹事長をして85年に没した田中六助氏は、特攻隊で教官をした話をよくした。83年、衆院本会議で中曽根首相に質問してこう述べている。
「私は特攻隊員として実戦に参加しました。多くの戦友、同僚、教え子、部下を雲流るる果てに散華させました。無残なことです」。失った同僚の中に中曽根氏の実弟がいたことも明かして、議場がしんみりしたものだ。
亀岡氏も田中氏も、自民党にあって憲法9条を大事にする平和主義者だと自任していた。
http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200512260067.html
私は北朝鮮に対しては実力を行使しても拉致被害者を救い出したいと考える者です。実力行使には当然犠牲が伴うでしょう。しかし犠牲を出しても守らなければならないものはあるのです。しかし一方で亀岡氏や田中氏のような記憶も忘れてはいけない。
亀岡氏や田中氏が平和主義者を任じることができたのは、敗戦後が日本にとって幸福な時代だったからかもしれません。戦後も北朝鮮のように戦争状態を継続しているかのような国もあります。苦難の後にさらに苦難が続くというのは人にも国にも希なことではないでしょう。
田中氏や亀岡氏の記憶にあるような国民を、二度と生み出してはいけません。それは言うまでもないことです。しかしいまだに北朝鮮のような国がある以上、非常の場合に犠牲が出るのはあり得ることです。外国に開かれた近代国家として歩むのは、こうした非常に微妙なバランスの上を歩まなくてはならないことでもある。そして、この危ういバランスの平衡を保ってくれるのが靖国神社です。
私たちは大戦の悲惨を繰り返してはならない。これは亡くられた方々の願いでもあります。再び我々の苦しみを繰り返すな、と。同時にこの方々に、国を犯す者達から守ってもらわなければならない。戦うのは私たちです。この方々の思いを胸に自分の力で日本を守らねばならない。
靖国神社とは近代日本にとり極めて大事な神社であります。この祭りが乱れることは日本の乱れでもある。日本が外国に開かれた国である限り靖国に祀られる御霊は生き続けます。この方々の祭りは絶対絶やしてはならない。この方々が本当におやすみになるのは、日本が再び国を閉ざすときでしょう。
これは メッセージ 225416 (kitaguniniakogarete さん)への返信です.