気を感じる、日本古代史
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/11/03 19:31 投稿番号: [222251 / 232612]
縄文人と渡来人が、日本という社会で共存する必要があり、天皇という両方の民族の統合を象徴する存在として置いた。このため、世界のほとんどの国とは違い、天皇が精神的な存在になっている。
しかし、縄文人と渡来人との話し合いで、縄文人が裏の世界を取り仕切り、表の世界を渡来人が仕切る仕組みを作った。このため、縄文人たちは、神の世界の人間となり、かつ山を舞台に活躍する民族として、また忍者として、天皇制や為政者を守ってきたり、鉄や水銀などの鉱山開発、木地師として、家具やおわんや漆器などを作っていた。サンガとして漂白の民族といわれている。中世史に詳しい網野義彦氏は神に仕える漂白民として描いている。
天皇を守るために、蘇我氏を滅ぼす大化の改新、足利義満の急死や織田信長の本能寺など、天皇を狙った権力者は殺されている。明智はサンガの裏の人間で、スパイとして織田氏に使えたという。
しかし、明治以後住民制度ができて、全国に定住しないこの山を根城にする集団を撲滅させていった。しかし、まだ、その痕跡が日本にはある。裏と表を取り仕切る人たちが、必ず出てくる。陰と陽のバランスを取る。縄文の精神文化があるために、江戸時代の循環システムが出来たのであるし、イタコのような魂をこの世に呼び寄せることができる人たちがいる。精神的な痕跡がまだ十分に存在している。五木寛之の「風の王国」がその雰囲気を伝えている。
この日本の精神文化を造ったのは、自然環境に恵まれて、人間が闘争をしなくてもお互いのテリトリーで生きていけるためで、山を根城にする精神的な縄文文化も近代まで、日本では残ったのであろう。
欧米は、日本ほどには自然は豊かではなくて、人間達が死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされて、闘争を繰り返した。このために闘争のエネルギーが人間の持っていた精神の豊かさを殺したようである。
キリスト教も、闘争で殺した人たちを悪魔化して、心の安定を得るために、神の命令として、殺人の心苦しさを軽減させているのでしょうね。ここから動物として感じる生命の尊厳を逃れたために、動物としての天性的な危機察知などの能力も失うことになったようだ。
日本と同じような縄文的な精神文化が古代では一般的であったが、闘争で欧米ではその精神文化が失われたのでしょうね。
負けたケルトやインディアンなどには、この天性の能力が今でもあるようです。Oさんがインディアンやケルトの人と話すと縄文的な日本人と同じような感情を共有できるようだと。
しかし、縄文人の流れを汲む日本人にも動物に備わっている危機を感じる天性の能力が本来的に存在している。このため、今でも日本人は他人に惨いことができない。強盗殺人がそれでも起こっている。
このように、戦後米国の影響を受けて、この縄文的な精神文化を日本も忘れ始めた。ここが心配である。この感覚の再興が日本にも必要になっているようだと。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/222251.html