■■靖国にある人々の魂は尊い■■
投稿者: charles_pearre_cabell 投稿日時: 2005/10/23 14:06 投稿番号: [221439 / 232612]
戦場における人の偉大さがなければ叙事詩は生まれない。
戦争が悪で平和が良いと人は言うが、現実に戦争の時代に生きた人々の人生が「悪」で、平和の中での人生が「進歩」しているとはいえないのだ。
戦争も平和も愚劣も偉大さも総てを包んだ、始まりもなく終わりもない輪廻転生の円環の中に我らの「生」がある。
従ってその一部を「間違った過去」とすることは、円環を切断して現在を否定することに他ならない。
私が賢しらに祖国の歴史を貶めるのを憎むのは、それが現在の祖国を否定して奪うことになるからである。
その様な輩は、魔女裁判の裁判官や共産主義者と同じ精神構造を持っている。
実際彼らは、もの言わぬ死者に鞭を打って自らの「進歩」をアピールすると共に、生者の悲惨に対しても、阪神大震災と拉致日本人問題でも明らかなように、なんら関心を示さない。
人としても愚劣である。
政界は、この精神的奇形を生み出す根源を未だに見抜けないでいる。
歴史とは、往古を訪ねることである。そのことは未来を訪ねることでもある。訪ねることができる切断されていない神秘の領域を持つ我が国に生まれていることの幸せをかみ締めたい。
総てはもとのところに帰る。私は、死ねば生まれる前のところに帰る。それはかけがえのない地球の中の日本という山河である。
それ故、靖国で会おうと約して散った人々の魂は尊いのである。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/221439.html