声が大きい
投稿者: mikkiy1977 投稿日時: 2005/10/05 01:55 投稿番号: [219148 / 232612]
ことが、果たして民意をあらわしているのだろうか。あるいは、聞こえる声の多きさこそが、民意の総称であると。
ユリウス・カエサルは、古代民主主義的な意思決定を重んじる元老院を守ろうとした多くの意志によって殺害された。もちろん彼は人一倍弁がたったことは多くの史実より明らかである。さらに彼は多くの実績を残している。例えば独裁者(制度)というのは、非常時における権限と指揮命令系の一本化であるが、それが功を奏した典型例である。
後日彼の意思を継いだオクタヴィアヌスが、初代ローマ皇帝となり帝政ローマを平安に導いた。
他方、カエサルが暗殺された元老院は、言論を闘わせる場における礼儀として武器の携帯は禁じられていた。
だがカエサルの有言実行に自らの存在価値を危ぶむものたちにより、彼は元老院で携行してはいけない武器により惨殺された。
声が大きいものを威圧と認識してけん制することは、防御的反応としてはしごく当たり前と思える。しかし、剣も弁もたつ漢の暴走とも思える所業を誰がどのように制御できたのであろうか。
仮に小泉首相が稀代まれなる才能に恵まれ、如何なくその手腕を発揮されているのなら、一庶民たる自分らには及びもつかない結末が待ち受けているのであろう。
しかし、史実において「あれは間違えだった」との判断をできるものは限られており、そのときに誰にとっての「間違い」かは、結果においてその正当性を保証されるものであると思う。単純にいうと多くの独裁者の判断は、(どこかで)誤っていたとの結論に帰結するであろう。
愚衆政治がもたらす衰退は、パンとサーカスの言葉で充分足りそうである。しかるに、サイレントマイノリティが歴史を変えた事実を挙げるまでもなく、イニシアティブの対峙がよき明日の礎となるまいか。ならば、是々非々の姿勢を自らが振返り、改めて結論を考えたい。
以上、つれづれの雑感にお付き合いありがとうございました。
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