郵政民営化で見落とせぬ特殊事情
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/09/09 22:57 投稿番号: [214805 / 232612]
成否分ける国鉄との違いの認識≪地元の名士を巧みに活用≫
明治政府は今から考えるとなかなかアジな政治を実施した。たとえば、内閣、省庁、県知事、郡長までは、天下をとった薩長のリーダーや、その配下を任命したが、それ以下の単位では、伝統的社会機構を生かした。
つまり村長には旧幕時代からの庄屋層から選んだ。多摩地区でいえば、新徴組に参加した郷士であり、庄屋でもあり、親徳川であった男は、維新後は千葉県の銚子でほとぼりをさました後、郷里に帰って村長になる。
この男の曾孫になる私の旧制中学の同級生は、家庭では歴史の教科書でも、徳川家康と呼びつけにできなかった。「徳川家康公」と読めというのだ。
伝統的村落には商売などをして、何となく金のある名望家というものがいるが、彼らを郵便局長に任命する。政府の発行する有価証券の郵便切手などを扱うから、経済基盤と信用のある家を選んだのだろう。曽野綾子の実家の本家は、旧幕時代は下町の質屋であったが、明治以降、最近まで郵便局だった。
明治政府は国会、県会、市町村会などをガス抜きに使って、反維新政府的になりかねない、伝統的生活感情を緩和してきたらしい。村長や近くの郵便局の局長の仕事には、そういう家の人が選挙され任命される場合が多かったのではなかろうか。
それだけに民営化といっても、最初から官営だった国鉄とは問題が違う。国鉄の労組の基盤には、伝統的コミュニティーの支持などありはしなかった。だから、彼らが「国鉄合理化反対」や「スト権奪回スト」などというスローガンを掲げても、利用者は誰も同情などしなかった。国鉄が合理的になれば、運行も能率的になるし、交通費も安くなるだろうと思ったのだ。
「スト権奪回スト」となれば、スト権がなくともこれだけストをするのだから、スト権を与えたらどうなるか、という不安があった。
だから昭和五十年代だったか、国鉄が十日あまりのストをうったときにも、マイカーが発達していたこともあって、空振りの三振ということになり、国鉄民営化は軌道にのったし、その後は年中行事であったストもなくなった。
年中行事といえば、毎年、年末になると、鉄道と郵便局の非能率のせいで、滞貨の山ができて、それが師走の風物として新聞の社会面を飾ったものだったが、あれがなくなったのは、先日亡くなった、クロネコヤマトの小倉昌男氏のおかげである。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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