歴史に関する、「こと」のメリハリ②
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/09/07 22:48 投稿番号: [214574 / 232612]
前頁より
あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるペきに違いないと思うのだが。
そうせぬ限りこの国は、結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され、周りからつけこまれるまま衰微の道をたどりかねない。
(月に一回掲載予定)
敗戦後の自虐思想の反動で、今は東京裁判否定論が世間を席巻しています。東京裁判を否定すると東条賛美になるらしい。「正論」や「諸君」といった保守系の雑誌によく掲載される学者や評論家はおしなべてそうです。ちなみに今月の同誌の広告を見れば一目瞭然です。
石原氏が靖国神社に参っても、なぜ「あの戦争の明らかな責任者を外して合掌している」のかは、氏のご家族(奥さん)の戦争体験を見れば明らかです。そのいきさつは石原氏のHPに書かれています。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no37.html
<<「靖国」は国家民族という枠をかまえて自らの生き方を思う者たちにとって垂直の価値、それを必要とする者にとってはいわば本質的価値の表象であって、歴史への解釈云々といった次元の価値観で左右され得るものでありはしない。かつての時代、どの国もどの民族もみんな死に物狂いに、生き残るために戦ったのだ。敗者勝者のいい分それぞれあろうが、それが嫌な者、見解を異にする者はただ靖国に行かなければいいのだし、他人事としてただ黙っていればいい。>>
この神社は戦地に赴き亡くなられた数百万の方々を慰める鎮魂のための神社です。後世に生きる私たちや次の世代の人々も、この方々のお気持ちに応えなければならない、と同時に感謝するのは国民の努めです。そして、亡くなられた方々への感謝は戦争の指導にあたった政治家や軍人にとってはとりわけ思い責任、というより義務だったと思います。大西中将の自決は、この義務の直接的な履行でした。
<<昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。>>
<<それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。>>
<<最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。>>
このような戦争体験を持つ慎太郎氏の奥さんが、戦争を直接指導した軍人政治家に対して、どのような思いに駆られるか。
問題は、この慎太郎氏の奥さんの気持ちに共感できるか否かにかかっています。前頁に引用した石原氏の文は、奥さんの心情に深い共感があってのものです。
活字にあらわす事が困難な心情に共感できたとき、いわゆる合祀の矛盾(許されざる蛮行と言うべきでしょうか)と、そして旧陸軍の残存指揮官が厚生省に残って松平宮司と結託した合祀の進め方がいかに不法なものであるか、そして同時に平然と法や民主主義を犯した戦前の陸軍の怖さを実感できるのではないでしょうか。
あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるペきに違いないと思うのだが。
そうせぬ限りこの国は、結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され、周りからつけこまれるまま衰微の道をたどりかねない。
(月に一回掲載予定)
敗戦後の自虐思想の反動で、今は東京裁判否定論が世間を席巻しています。東京裁判を否定すると東条賛美になるらしい。「正論」や「諸君」といった保守系の雑誌によく掲載される学者や評論家はおしなべてそうです。ちなみに今月の同誌の広告を見れば一目瞭然です。
石原氏が靖国神社に参っても、なぜ「あの戦争の明らかな責任者を外して合掌している」のかは、氏のご家族(奥さん)の戦争体験を見れば明らかです。そのいきさつは石原氏のHPに書かれています。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no37.html
<<「靖国」は国家民族という枠をかまえて自らの生き方を思う者たちにとって垂直の価値、それを必要とする者にとってはいわば本質的価値の表象であって、歴史への解釈云々といった次元の価値観で左右され得るものでありはしない。かつての時代、どの国もどの民族もみんな死に物狂いに、生き残るために戦ったのだ。敗者勝者のいい分それぞれあろうが、それが嫌な者、見解を異にする者はただ靖国に行かなければいいのだし、他人事としてただ黙っていればいい。>>
この神社は戦地に赴き亡くなられた数百万の方々を慰める鎮魂のための神社です。後世に生きる私たちや次の世代の人々も、この方々のお気持ちに応えなければならない、と同時に感謝するのは国民の努めです。そして、亡くなられた方々への感謝は戦争の指導にあたった政治家や軍人にとってはとりわけ思い責任、というより義務だったと思います。大西中将の自決は、この義務の直接的な履行でした。
<<昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。>>
<<それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。>>
<<最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。>>
このような戦争体験を持つ慎太郎氏の奥さんが、戦争を直接指導した軍人政治家に対して、どのような思いに駆られるか。
問題は、この慎太郎氏の奥さんの気持ちに共感できるか否かにかかっています。前頁に引用した石原氏の文は、奥さんの心情に深い共感があってのものです。
活字にあらわす事が困難な心情に共感できたとき、いわゆる合祀の矛盾(許されざる蛮行と言うべきでしょうか)と、そして旧陸軍の残存指揮官が厚生省に残って松平宮司と結託した合祀の進め方がいかに不法なものであるか、そして同時に平然と法や民主主義を犯した戦前の陸軍の怖さを実感できるのではないでしょうか。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.