小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>米国代表:クリストファー・ヒル

投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/08/06 23:27 投稿番号: [210699 / 232612]
  2001年6月半ば、未曾有の大混戦を制して第43代アメリカ合衆国大統領となったジョージ・W・ブッシュはいまにも一雨きそうな鉛色の空に時折うっすらと薄日が差しこむポーランド・ワルシャワの地に立っていた。

  大統領就任後、初の外遊先に選んだ欧州各地でブッシュは冷たい歓迎を受け続けた。京都議定書への対応や、ロシアとの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の改廃問題などをめぐり、欧州主要各国との差がすでに埋め難いものとなっていたとはいえ、当時の欧州はそこかしこで「ブッシュ嫌い」の空気を充満させていた。

  「ヒットラーやスターリン、ブレジネフや、ホーネッカー、チャウシェスクもいない開かれた欧州を創設できる」

  クワシニエフスキ・ポーランド大統領と会談後、ワルシャワ大学に詰め掛けた聴衆を前に、「冷戦後の欧州」と題した演説をしたブッシュはいつもより少し早口になりながら、熱弁を振るい続けた。

  演説の最後にブッシュはポーランド後で「心を鼓舞させよう」と呼びかけた。ケネディ大統領によるドイツ語での有名な演説―私も一人のベルリン市民だ―を髣髴させる演出にポーランド国民は歓喜の声を上げ、ブッシュを賞賛した。冷戦後、唯一の超大国となったアメリカ合衆国の新たな指導者として勇躍、欧州に乗り込んだブッシュはこの地でようやく確かな手応えを感じ取ったのである。

  このブッシュによるポーランド訪問を大成功させた立役者が、キャリア外交官でありながら駐ポーランド大使に就任していたクリストファー・ヒル現駐韓大使であることは日本ではほとんど知られていない。

  トラブル・シューター――。

  そのニックネーム通り、重大な難問の処理能力に優れた手腕を発揮すると評判のヒルはクリントン政権時代、ユーゴスラビア・コソボ紛争など難題を手際よく裁き、国務長官のウォーレン・クリストファーや、国連大使のリチャード・ホルブルックらに見出された。だが、そうした経歴は本来、共和党内でもことさら身内の結束を重視するブッシュ流から言えば、マイナスに作用するはずでもあった。

  ブッシュの政敵である前副大統領のアルバート・ゴアが大統領になっていたら、「国務長官候補の最右翼」といわれていたホルブルックとの「近さ」は逆にブッシュ政権において、ヒルを「外様」と見なすのに十分な材料であり、それだけで政権の要職に抜擢される可能性は極めて低かった。

  しかし、初の欧州外遊で冷たい歓迎を受け続けたブッシュは自らの心を溶かしたポーランド訪問の舞台裏設定に奔走したヒルを心中、高く評価していた。その3年後、ブッシュはその評価を現実の処遇をもって内外に知らせることになる。日本通のアジア専門化で、北朝鮮交渉でも豊富な経験を持つ前駐韓米大使、トーマス・ハバードの後任としてヒルを指名したのである。

  「ヒルって一体、どこの誰?」

――。韓国、そして日本や中国でも馴染みのない名前と、その人事の背景をいぶかる声が囁かれているのを尻目に、こうした人事情報には敏感なワシントンの外交サークルでは「ヒルはブッシュのお気に入り」(元米政府高官)という説が一気に広まっていった。

  そして2005年春、ブッシュは再度、そのヒルをアジア担当の国務次官保に抜擢し、対北朝鮮のチーフ・ネゴシエイターにも据えた。
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こちらも潮5月号に書かれていた記事からの抜粋です(筆者は島村謙司というジャーナリスト)。

>ヒルを「外様」と見なすのに十分な材料であり、それだけで政権の要職に抜擢される可能性は極めて低かった

ブッシュの身内でないのなら、仮に6カ国協議に失敗してもブッシュは傷つかないということもあるでしょうし、身内には北朝鮮を相手に丁丁発止の交渉をできる人材がいないからかも知れませんね。
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