南京虫殿
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/08/06 22:01 投稿番号: [210687 / 232612]
あなたの言ってる事は常識だと思っているのでレスしなかったが、仕方がない。あまりに当たり前の事には返事をする気にもならないのだよ。
>昭和27年、戦犯靖国合祀・名誉回復の為の、一大国民運動が、起こります。
>この国民運動には、最終的には約4000万人の署名が集まります。
>その運動を受け、昭和27年第16特別国会で、戦争犯罪裁判の殉難者たち、世に「A級戦犯」と呼ばれる14人を含めたすべての殉難者たちを、 「蘘国神社に合祀すること」が与野党全会一致で決議され、『旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は、日本の国内法では罪人と見なさない。』という判断基準が明確に示されました。
あなたのいいたい事は4000万人の嘆願書と国会決議により連合軍に違法に殺害された1000人あまりの戦犯者はすべて免責された、ということだろう。この運動のどこにおかしなことがあるか。当然のことだろう。
いわゆるA級戦犯を含め、戦争犯罪者の烙印を押されたすべての方々はいずれは免責されなければならない。講和条約締結後直ちにこうした手続きが取られた事は大変すばらしい事だ。誰が反対すると言うのか。
問題はこの先にあるのだ。繰り返しになるが書いておこう。
昭和42年厚生省援護局からいわゆるA級戦犯を含む合祀名簿が靖国神社に送られてきた。当時の宮司は宮内庁、つまりは昭和天皇のご意向を配慮して、名簿を宮司預かりとして合祀を先送りしてきた。
援護局は軍人や在外居留民の引き上げを管理する役所だから、旧陸軍や海軍の左官クラスをはじめとする旧陸海軍人が中心となっていた役所だった。その援護局が宮司に合祀を進めるようさかんに圧力をかけていたらしい。それを拒否してきたのだ。天皇陛下のご意向を汲んでのことだという。
合祀を先送りしていた宮司は昭和52年に死去し、その後を継いだのが、松平だ。彼は福井藩の松平春嶽の孫で少佐で陸軍を退職し自衛隊に勤務していた。
彼は着任早々昭和52年の秋の例大祭で合祀を進めてしまう。彼は厳しい緘口令を敷いていたそうだ。合祀は翌年発表された。外部に知られることなく密かに合祀を行ったのは、何よりも天皇陛下に知られることを恐れての事だろう。
昭和天皇が最後に参拝なさったのは昭和50年か51年だ。それを最後に今に至るまで参拝がないわけだ。靖国神社の履歴から考えれば異常であろう。この異常事態は東条以下いわゆるA級戦犯を祭ったことが原因としか考えられないだろう。
東条は昭和天皇から戦争を回避する事を命として総理に就任し、結局戦局を極度に悪化させ退陣に追い込まれた。自分からやめたのではない。政策の失敗を批難され止めさせられたのだ。
唯一の主権者である天皇が彼の働きに不信を抱き、最後は陸軍にも信頼を置かなくなってしまった。東条が国民からも支持がなかった事は、総理を辞めた後近隣から拒否され住むに家なく、さらに自決をしそこなった事への国民や作家の批難などから明らかだ。
昭和天皇が靖国神社に東条らが祀られる結果になった事にどのような感情を抱いたか、あなたは想像がつかないかね。
東条を祭ったことを天皇陛下が快く思っておられなかったのではないかと言う事にさえ頭を働かせないのは、馬鹿としかいいようがないのだよ。
靖国神社に東条が祀られていても所詮は一宗教法人だ、何の問題もないだろう。私のような者は『ご免なさいね』で済む事だ。一緒にして参拝したい人はそうすればいい。東条こそ英霊の中の英霊として、他の戦没者を置いて感謝をこめて祈る人もいるだろう(一人くらいはな)。
だが東条の合祀が天皇陛下のお心でなかったとすればこれは大変大きな問題だろう。
いわゆるA級戦犯を含めすべての戦争犯罪者の烙印を押された方が免責されたのは当然だ。だが合祀の履歴が少しずつ明らかになるにつれ、また天皇陛下の参拝が絶えたこととあわせて、このままでいいのか考えなければならないと言う事だ。
松平は先月亡くなった。合祀をもう一度考えてみる必要があるのではないかということだな。
>昭和27年、戦犯靖国合祀・名誉回復の為の、一大国民運動が、起こります。
>この国民運動には、最終的には約4000万人の署名が集まります。
>その運動を受け、昭和27年第16特別国会で、戦争犯罪裁判の殉難者たち、世に「A級戦犯」と呼ばれる14人を含めたすべての殉難者たちを、 「蘘国神社に合祀すること」が与野党全会一致で決議され、『旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は、日本の国内法では罪人と見なさない。』という判断基準が明確に示されました。
あなたのいいたい事は4000万人の嘆願書と国会決議により連合軍に違法に殺害された1000人あまりの戦犯者はすべて免責された、ということだろう。この運動のどこにおかしなことがあるか。当然のことだろう。
いわゆるA級戦犯を含め、戦争犯罪者の烙印を押されたすべての方々はいずれは免責されなければならない。講和条約締結後直ちにこうした手続きが取られた事は大変すばらしい事だ。誰が反対すると言うのか。
問題はこの先にあるのだ。繰り返しになるが書いておこう。
昭和42年厚生省援護局からいわゆるA級戦犯を含む合祀名簿が靖国神社に送られてきた。当時の宮司は宮内庁、つまりは昭和天皇のご意向を配慮して、名簿を宮司預かりとして合祀を先送りしてきた。
援護局は軍人や在外居留民の引き上げを管理する役所だから、旧陸軍や海軍の左官クラスをはじめとする旧陸海軍人が中心となっていた役所だった。その援護局が宮司に合祀を進めるようさかんに圧力をかけていたらしい。それを拒否してきたのだ。天皇陛下のご意向を汲んでのことだという。
合祀を先送りしていた宮司は昭和52年に死去し、その後を継いだのが、松平だ。彼は福井藩の松平春嶽の孫で少佐で陸軍を退職し自衛隊に勤務していた。
彼は着任早々昭和52年の秋の例大祭で合祀を進めてしまう。彼は厳しい緘口令を敷いていたそうだ。合祀は翌年発表された。外部に知られることなく密かに合祀を行ったのは、何よりも天皇陛下に知られることを恐れての事だろう。
昭和天皇が最後に参拝なさったのは昭和50年か51年だ。それを最後に今に至るまで参拝がないわけだ。靖国神社の履歴から考えれば異常であろう。この異常事態は東条以下いわゆるA級戦犯を祭ったことが原因としか考えられないだろう。
東条は昭和天皇から戦争を回避する事を命として総理に就任し、結局戦局を極度に悪化させ退陣に追い込まれた。自分からやめたのではない。政策の失敗を批難され止めさせられたのだ。
唯一の主権者である天皇が彼の働きに不信を抱き、最後は陸軍にも信頼を置かなくなってしまった。東条が国民からも支持がなかった事は、総理を辞めた後近隣から拒否され住むに家なく、さらに自決をしそこなった事への国民や作家の批難などから明らかだ。
昭和天皇が靖国神社に東条らが祀られる結果になった事にどのような感情を抱いたか、あなたは想像がつかないかね。
東条を祭ったことを天皇陛下が快く思っておられなかったのではないかと言う事にさえ頭を働かせないのは、馬鹿としかいいようがないのだよ。
靖国神社に東条が祀られていても所詮は一宗教法人だ、何の問題もないだろう。私のような者は『ご免なさいね』で済む事だ。一緒にして参拝したい人はそうすればいい。東条こそ英霊の中の英霊として、他の戦没者を置いて感謝をこめて祈る人もいるだろう(一人くらいはな)。
だが東条の合祀が天皇陛下のお心でなかったとすればこれは大変大きな問題だろう。
いわゆるA級戦犯を含めすべての戦争犯罪者の烙印を押された方が免責されたのは当然だ。だが合祀の履歴が少しずつ明らかになるにつれ、また天皇陛下の参拝が絶えたこととあわせて、このままでいいのか考えなければならないと言う事だ。
松平は先月亡くなった。合祀をもう一度考えてみる必要があるのではないかということだな。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.