>>どんな差別があったのかの例を
投稿者: kedouinmaruei_no1 投稿日時: 2005/07/16 09:52 投稿番号: [208574 / 232612]
>出さなくて
・さぼさんが投稿したこのRe
2005/ 7/15 23:13
メッセージ: 208553 / 208573頃は、男おいどん、本日<=昨日>の仕事が終わって、中区藤棚で遅い晩飯を食っている時間でした。
・以上は、無関係の横レスでした。
さて、差別についてです。
・差別の中身は時代の流れの中で刻々と変化していると思います。
・現憲法では「門地」による差別をしてはならないとされていますが、戦前は厳として存在したと言われています。戦後も全くなくなってはいないと言われていますが、その「質」は変遷しているものと理解しています。
・しかし、どんな社会になってもチャンスは機会均等であって欲しいものです。が、優劣は努力や時の運等によって左右されます。それを「差別」と認識して憎み排除するのか、逆にエネルギーとして吸収してチャレンジするのか。・・とらえ方次第だと思います。
・現代の差別は、杉本苑子の小説「冬の蝉」「胸に棲む鬼」「夜叉神堂の男」「別れ霜」などに出てくる時代の差別とは次元・質共に異なると思います。が、その差別を差別と言って非難して良いものかどうかについては・・その人の受け取り方次第、対応次第だと思います。
・例えば、藤原を名乗る性の人の大半は貴族の末裔であろうが、その人が人格・学識共に優れているかといえば、必ずしもそうではないように・・。また、士農工商の下に位置づけされた人たちが人格・学識共に劣っているかといえば、必ずしもそうではないように・・。
・拙者若年の砌、寺の住職が新生児に「玄田牛一」などと命名した時代があったと言うことを聞いたことがありますが、これなどは事実だとすれば実にけしからんことで、以ての外でしょう。
・すべてこの世の中は「公平か」と言われれば、決して公平ではないでしょう。公平の尺度は人によって異なるでしょうが、大方の人が是認でき、受け入れることのできる、言わば「不公平な公平」が、現実ではないでしょうか。
・ちなみに、私は差別はあると思っています。が、どうってことのない差別だと思っています。むしろ「差別」という言葉よりも「優位性」と置換するのが相応しい不公平性だと思います。この程度の違いたる差別はあって当然と認識しています。反って励みになります。
これは メッセージ 208553 (sa_bo_ten_32 さん)への返信です.
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