首相の権力闘争(続)
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/06/12 12:07 投稿番号: [206197 / 232612]
首相に関するコラムをもう一本。
「小泉流」こそ常識
誰が名づけたか「小泉流」という言葉がある。人事や政策決定での小泉純一郎の振る舞いを指す用語で、永田町の流儀にそぐわないと言う意味である。
だが小泉流は案外、常識的でもある。
日常生活でいえば、同僚議員を「ちゃん」と呼ばない。30年のキャリアを持つ自民党議員で、これは稀有(けう)なことだ。例えば首相が敵視した旧竹下派では、幹部同士の呼び方は「ちゃん」「さん」「君」、あるいは肩書き、呼び捨てまで、めまぐるしく変わった。
誰が誰をどう呼ぶのかは、その時々の人間関係と力関係を映し出す鏡だった。当選回数と年齢が入り組む政界で、還暦を超えて「ちゃん」づけで呼ぶことは、権力闘争を生きる知恵でもある。
自らは「純ちゃん」と呼ばれても、首相は違う。YKKラインの加藤紘一氏は「加藤さん」で、もっとも親しい山崎拓氏でも「拓さん」。内輪でも他の政治家を呼び捨てにはせず、さんづけで話すという。濃密な人間関係がつくりあげてきた自民党の空気が、首相には希薄だ。それは「世間の常識」に近い。
自民党の「変人」だからこそ、世間の感覚に近いというのが「小泉流」の解釈だ。だが、首相には永田町の伝統的な政治技術を踏まえる一面もある。例えば郵政民営化で、首相は日程にこだわった。ゴールから逆算する日程重視の手法は、かつて国会対策の専売特許だった。
国対と縁遠い印象のある首相には、筆頭委員長の経験がある。1987年、竹下登首相、安倍晋太郎幹事長のもとでのことだ。
同じ選挙区に野党の国対委員長がいれば、国対メンバーにしないのが中選挙区時代の不文律だった。当時、公明党の国対委員長は首相と同じ旧神奈川2区選出の市川雄一氏。それでも安倍氏は「小泉を国対に入れたい。でも、あなたがダメならあきらめる」と、公明党幹部を通じて打診した。「何の障害もない。結構です」と市川氏が応じ、首相は筆頭副委員長になった。国対全盛期の一幕である。
その経緯もあってか、首相の「国対」への思い入れは深いようだ。中川秀直氏が国対委員長に就任すると、首相が、「衆参両院の国対委員長が清和会「森派」になったと語るのを聞いた議員もいる。
4月上旬、米軍再編問題で官邸を訪れ、国対経験の長い旧橋本派の額賀福志郎氏に、首相は郵政の話題を出し、党内情勢を探っている。法案を仕上げる議会対策を首相が意識するのは政治技術からいえば、極めて常識的である。
「小泉流」で指名した二階俊博特別委員長、武部勤幹事長、与謝野馨政調会長はいずれも梶山静六国対委員長の下で副委員長だった。晩年、急進的改革を唱えた梶山氏は自民党の枠内での改革に、もどかしさを覚えていた。
小泉執行部を梶山門下生が務めるめぐり合わせ。「小泉流」と梶山型ハードランディングに共通するのは、古い自民党システムへの異議申し立てだ。
「政策の相違」で総務省幹部を交代させた首相の姿勢は、小沢一郎氏が唱えたポリティカルアポインティー(政治的任命者)強化と重なり合う。旧竹下派幹部と首相のたくまざる共通項は、いまや「小泉流」こそ永田町と世間の常識で、後戻りはできないことを示しているのかもしれない。(政治部 丸谷浩史)
日経新聞 5月28日 コラム「風見鶏」
============================== =
「小泉流」のポイントとは
①内輪でも他の政治家を呼び捨てにはせず、さんづけで話す ⇒ ( 小泉的なもの )
②首相には永田町の伝統的な政治技術を踏まえる一面もある ⇒ ( 旧竹下派的なもの )
③首相の「国対」への思い入れは深いようだ ⇒ ( 旧竹下派的なもの )
④梶山型ハードランディング ⇒ ( 田中門下生の一つ知恵 )
⑤「政策の相違」で総務省幹部を交代させた首相の姿勢 ⇒ ( 田中門下生の一つの知恵 )
総合すると
旧竹下派幹部と首相のたくまざる共通項こそ「小泉流」
言い換えると、竹下派の悪い部分は排除し、良い部分を受け入れて自分の色をつけている。
小泉流が田中流よりも優れているのではなく、角福対立という政治権力争いを戦い抜くために身につけた手法ともいえる。
>後戻りはできないことを示しているのかもしれない
日経は、橋本派は機能しなくなった、派閥政治は終わったと折に触れコラムで書いているけど、僕はそうでもないと思っている。
安倍信三氏は「次の政権は小泉改革を継承する人物がふさわしい」といっていたけど、果たしてどうか。
田中派の怨念。これはすさまじい。ちゃんとお墓を建てて供養してあげないと、怨霊になって祟られる。
祟られたらゆり戻しは激しいゾ。
「小泉流」こそ常識
誰が名づけたか「小泉流」という言葉がある。人事や政策決定での小泉純一郎の振る舞いを指す用語で、永田町の流儀にそぐわないと言う意味である。
だが小泉流は案外、常識的でもある。
日常生活でいえば、同僚議員を「ちゃん」と呼ばない。30年のキャリアを持つ自民党議員で、これは稀有(けう)なことだ。例えば首相が敵視した旧竹下派では、幹部同士の呼び方は「ちゃん」「さん」「君」、あるいは肩書き、呼び捨てまで、めまぐるしく変わった。
誰が誰をどう呼ぶのかは、その時々の人間関係と力関係を映し出す鏡だった。当選回数と年齢が入り組む政界で、還暦を超えて「ちゃん」づけで呼ぶことは、権力闘争を生きる知恵でもある。
自らは「純ちゃん」と呼ばれても、首相は違う。YKKラインの加藤紘一氏は「加藤さん」で、もっとも親しい山崎拓氏でも「拓さん」。内輪でも他の政治家を呼び捨てにはせず、さんづけで話すという。濃密な人間関係がつくりあげてきた自民党の空気が、首相には希薄だ。それは「世間の常識」に近い。
自民党の「変人」だからこそ、世間の感覚に近いというのが「小泉流」の解釈だ。だが、首相には永田町の伝統的な政治技術を踏まえる一面もある。例えば郵政民営化で、首相は日程にこだわった。ゴールから逆算する日程重視の手法は、かつて国会対策の専売特許だった。
国対と縁遠い印象のある首相には、筆頭委員長の経験がある。1987年、竹下登首相、安倍晋太郎幹事長のもとでのことだ。
同じ選挙区に野党の国対委員長がいれば、国対メンバーにしないのが中選挙区時代の不文律だった。当時、公明党の国対委員長は首相と同じ旧神奈川2区選出の市川雄一氏。それでも安倍氏は「小泉を国対に入れたい。でも、あなたがダメならあきらめる」と、公明党幹部を通じて打診した。「何の障害もない。結構です」と市川氏が応じ、首相は筆頭副委員長になった。国対全盛期の一幕である。
その経緯もあってか、首相の「国対」への思い入れは深いようだ。中川秀直氏が国対委員長に就任すると、首相が、「衆参両院の国対委員長が清和会「森派」になったと語るのを聞いた議員もいる。
4月上旬、米軍再編問題で官邸を訪れ、国対経験の長い旧橋本派の額賀福志郎氏に、首相は郵政の話題を出し、党内情勢を探っている。法案を仕上げる議会対策を首相が意識するのは政治技術からいえば、極めて常識的である。
「小泉流」で指名した二階俊博特別委員長、武部勤幹事長、与謝野馨政調会長はいずれも梶山静六国対委員長の下で副委員長だった。晩年、急進的改革を唱えた梶山氏は自民党の枠内での改革に、もどかしさを覚えていた。
小泉執行部を梶山門下生が務めるめぐり合わせ。「小泉流」と梶山型ハードランディングに共通するのは、古い自民党システムへの異議申し立てだ。
「政策の相違」で総務省幹部を交代させた首相の姿勢は、小沢一郎氏が唱えたポリティカルアポインティー(政治的任命者)強化と重なり合う。旧竹下派幹部と首相のたくまざる共通項は、いまや「小泉流」こそ永田町と世間の常識で、後戻りはできないことを示しているのかもしれない。(政治部 丸谷浩史)
日経新聞 5月28日 コラム「風見鶏」
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「小泉流」のポイントとは
①内輪でも他の政治家を呼び捨てにはせず、さんづけで話す ⇒ ( 小泉的なもの )
②首相には永田町の伝統的な政治技術を踏まえる一面もある ⇒ ( 旧竹下派的なもの )
③首相の「国対」への思い入れは深いようだ ⇒ ( 旧竹下派的なもの )
④梶山型ハードランディング ⇒ ( 田中門下生の一つ知恵 )
⑤「政策の相違」で総務省幹部を交代させた首相の姿勢 ⇒ ( 田中門下生の一つの知恵 )
総合すると
旧竹下派幹部と首相のたくまざる共通項こそ「小泉流」
言い換えると、竹下派の悪い部分は排除し、良い部分を受け入れて自分の色をつけている。
小泉流が田中流よりも優れているのではなく、角福対立という政治権力争いを戦い抜くために身につけた手法ともいえる。
>後戻りはできないことを示しているのかもしれない
日経は、橋本派は機能しなくなった、派閥政治は終わったと折に触れコラムで書いているけど、僕はそうでもないと思っている。
安倍信三氏は「次の政権は小泉改革を継承する人物がふさわしい」といっていたけど、果たしてどうか。
田中派の怨念。これはすさまじい。ちゃんとお墓を建てて供養してあげないと、怨霊になって祟られる。
祟られたらゆり戻しは激しいゾ。
これは メッセージ 206169 (komash0427 さん)への返信です.