扶桑社の教科書の一部
投稿者: ringo_rn2 投稿日時: 2005/06/04 15:10 投稿番号: [205545 / 232612]
「日出(いず)る処(ところ)の天子、書を日没(ぼつ)する処の天子に致す。恙無(つつがな)きや」と書いたあの有名な手紙は、隋(ずい)の皇帝煬帝(ようだい)を怒らせた。天子、つまり皇帝は中国ひとりに許された称号であるのに、波の彼方の東の小国が何を言うのか、という中華思想の怒りである。
だが、太子はひるまずにまたもや書いた。「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」と。
「天皇」の称号の始まりである。天皇は天子であり皇帝であり、天子と比べても皇帝と比べても堂々たる対等の称号である。怒る隋にひれ伏すのではなく、再び、日本は対等であると書き送った太子の外交を、隋は受け入れ、日本国と天皇を認めた。
朝鮮半島(高句麗(こうくり))との戦いに臨もうとしていた状況下で、大国隋といえども、日本が高句麗に味方して隋に敵対する状況は避けるであろうとの太子の外交政策の分析が当たったのだ。小泉純一郎首相の信念なき対中外交とは雲泥の差である。こうして日本は、七世紀以来ずっと、中国と対等の関係を築き上げてきた。
>小泉純一郎首相の信念なき対中外交
櫻井よし子さん、ずばり言っちゃってますね。(笑
これは メッセージ 205544 (ringo_rn2 さん)への返信です.
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