「有本さん平壌で見た」 曽我さん
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2005/05/27 22:43 投稿番号: [204845 / 232612]
■「有本さん平壌で見た」
曽我さん、家族に証言
「死亡」時期前後か レバノン拉致女性と会話
帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、一九八三(昭和五十八)年に欧州ルートで北朝鮮に拉致された有本恵子さん=拉致当時(23)=を「平壌の外貨ショップで見かけた」と証言していたことが二十六日、分かった。有本さんの母、嘉代子さん(79)が今年二月、直接曽我さんから聞いた。有本さんの目撃証言は初めて。証言内容から拉致被害者の北朝鮮での暮らしぶりの一端も浮かび上がる。政府も証言内容を把握しており、今後北朝鮮側に照会していく方針だ。
証言によると、曽我さんは北朝鮮に拉致されたレバノン人女性と一緒に平壌の外貨ショップに出かけた際、日本人らしい女性を見かけた。レバノン人女性がその女性に近づき、親しそうに話を始めた。曽我さんが「あの女性はだれなのか」と聞くと、レバノン人女性は「ロンドンから連れてこられた日本人」と説明。曽我さんが「なぜ知っているの」とたずねると、レバノン人女性は「産院が一緒だった」と話したという。
警察当局の調べでは、有本さんは八三年夏、北朝鮮工作員やよど号ハイジャック犯のメンバーらにだまされ、ロンドンからコペンハーゲン、モスクワなどを経由して平壌に連れ去られた。曽我さんは当時、有本さんのことを知らなかったとみられるが、帰国後に拉致被害者の写真などを見ており、目撃した女性を有本さんと確認した。
北朝鮮側は有本さんについて、「一九八五年十二月に結婚、その後、子供を産み、八八年十一月に死亡」と説明している。曽我さんが目撃した時期は不明だが、有本さんが出産後だったことから、「死亡」とされる時期の前後だったとみられる。
証言に出てくるレバノン人女性は、曽我さんと同じ七八年に「日本企業の秘書募集」とだまされ拉致された四人のうちの一人、シハーム・スリダホさんとみられる。
レバノン政府はパレスチナ解放機構(PLO)傘下の組織に依頼するなど外交ルートを駆使して北朝鮮側に強い圧力をかけ、被害者らを奪還したが、スリダホさんはそのとき妊娠していた。宗教上、結婚後は夫に従うことになっていたので、自ら北朝鮮に戻っていったのだった。スリダホさんには三人の子供がおり、有本さんと産院で一緒になったのは三番目の子供の出産時とみられる。
スリダホさんの夫は、曽我さんの夫、ジェンキンスさん(65)と同じ脱走米兵。朝鮮名で「キム・イルウー」と名乗っていたジェリー・パリッシュ氏とみられる。
ジェンキンスさんらは反米宣伝のスパイ映画「名もなき英雄」に出演していた。妻になったのはいずれも拉致被害者で、その妻らが一緒に買い物に出かけていたことから、脱走米兵たちは同じ集落などで生活していた可能性が浮上している。
有本さんも外貨ショップを訪れていたことから、拉致被害者が一般人より優遇されていたことがうかがえる。
◇
【有本恵子さん拉致事件の経過】
年 月 出来事
1978・7 レバノン人女性4人拉致事件
79・7〜11 レバノン人女性が相次ぎ解放される。このうち1人が北朝鮮へ戻り出産
レバノン人女性はこの後さらに、1990年までに2人を出産
82 有本さん、英国留学出発
83・ 7 有本さん、拉致され平壌入り(北朝鮮説明)
85・12 有本さん、石岡亨さんと結婚(北朝鮮説明)その後、有本さんが出産
(これ以降、曽我さんが有本さんを目撃?)
88・ 9 乳児の写真が同封された手紙が日本に届く
11 有本さんが一家で死亡(北朝鮮説明)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm
////////////////////////////////////////////////////
北朝鮮からの5名の帰還者の情報、蓮池夫妻の話では、
政府(この場合、外務省ではなく内閣支援室をさしているのでしょう)に、
知っていることは皆報告したとなっているが、
機密なら機密でよいものの、はたして政府は有効に使っているのだろうか?
「死亡」時期前後か レバノン拉致女性と会話
帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、一九八三(昭和五十八)年に欧州ルートで北朝鮮に拉致された有本恵子さん=拉致当時(23)=を「平壌の外貨ショップで見かけた」と証言していたことが二十六日、分かった。有本さんの母、嘉代子さん(79)が今年二月、直接曽我さんから聞いた。有本さんの目撃証言は初めて。証言内容から拉致被害者の北朝鮮での暮らしぶりの一端も浮かび上がる。政府も証言内容を把握しており、今後北朝鮮側に照会していく方針だ。
証言によると、曽我さんは北朝鮮に拉致されたレバノン人女性と一緒に平壌の外貨ショップに出かけた際、日本人らしい女性を見かけた。レバノン人女性がその女性に近づき、親しそうに話を始めた。曽我さんが「あの女性はだれなのか」と聞くと、レバノン人女性は「ロンドンから連れてこられた日本人」と説明。曽我さんが「なぜ知っているの」とたずねると、レバノン人女性は「産院が一緒だった」と話したという。
警察当局の調べでは、有本さんは八三年夏、北朝鮮工作員やよど号ハイジャック犯のメンバーらにだまされ、ロンドンからコペンハーゲン、モスクワなどを経由して平壌に連れ去られた。曽我さんは当時、有本さんのことを知らなかったとみられるが、帰国後に拉致被害者の写真などを見ており、目撃した女性を有本さんと確認した。
北朝鮮側は有本さんについて、「一九八五年十二月に結婚、その後、子供を産み、八八年十一月に死亡」と説明している。曽我さんが目撃した時期は不明だが、有本さんが出産後だったことから、「死亡」とされる時期の前後だったとみられる。
証言に出てくるレバノン人女性は、曽我さんと同じ七八年に「日本企業の秘書募集」とだまされ拉致された四人のうちの一人、シハーム・スリダホさんとみられる。
レバノン政府はパレスチナ解放機構(PLO)傘下の組織に依頼するなど外交ルートを駆使して北朝鮮側に強い圧力をかけ、被害者らを奪還したが、スリダホさんはそのとき妊娠していた。宗教上、結婚後は夫に従うことになっていたので、自ら北朝鮮に戻っていったのだった。スリダホさんには三人の子供がおり、有本さんと産院で一緒になったのは三番目の子供の出産時とみられる。
スリダホさんの夫は、曽我さんの夫、ジェンキンスさん(65)と同じ脱走米兵。朝鮮名で「キム・イルウー」と名乗っていたジェリー・パリッシュ氏とみられる。
ジェンキンスさんらは反米宣伝のスパイ映画「名もなき英雄」に出演していた。妻になったのはいずれも拉致被害者で、その妻らが一緒に買い物に出かけていたことから、脱走米兵たちは同じ集落などで生活していた可能性が浮上している。
有本さんも外貨ショップを訪れていたことから、拉致被害者が一般人より優遇されていたことがうかがえる。
◇
【有本恵子さん拉致事件の経過】
年 月 出来事
1978・7 レバノン人女性4人拉致事件
79・7〜11 レバノン人女性が相次ぎ解放される。このうち1人が北朝鮮へ戻り出産
レバノン人女性はこの後さらに、1990年までに2人を出産
82 有本さん、英国留学出発
83・ 7 有本さん、拉致され平壌入り(北朝鮮説明)
85・12 有本さん、石岡亨さんと結婚(北朝鮮説明)その後、有本さんが出産
(これ以降、曽我さんが有本さんを目撃?)
88・ 9 乳児の写真が同封された手紙が日本に届く
11 有本さんが一家で死亡(北朝鮮説明)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm
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北朝鮮からの5名の帰還者の情報、蓮池夫妻の話では、
政府(この場合、外務省ではなく内閣支援室をさしているのでしょう)に、
知っていることは皆報告したとなっているが、
機密なら機密でよいものの、はたして政府は有効に使っているのだろうか?
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.