小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>>フィリピンに元日本兵

投稿者: pichanneko 投稿日時: 2005/05/27 16:35 投稿番号: [204783 / 232612]
戦争なんかしないで済めば良かったのにね。
でも、あの戦争が無ければ今の日本も無かった訳ですから・・・。
それにしても、よくぞ昔の日本人は勤勉に働き、ここまで日本を発展させてくれたことです。東洋の奇蹟なんですね。感謝の気持ちでいっぱいです。
日本に生まれることが出来て、本当に良かったと思います。

それから、平和ボケという言葉は、平和すぎてぼけるということなんですね。


5月27日付・編集手帳

日露戦争で旅順を攻略した司令官、乃木希典(まれすけ)に「凱旋(がいせん)」という詩がある。題名とは異なり、一字一字が重く、苦い

◆「愧(は)ず、我何の顔(かんばせ)あってか父老に看(まみ)えん。凱歌、今日幾人か還(かえ)る」。私はどの面さげて戦死者の親御たちに会えよう。凱旋の日、何人の兵士が生きて還ったか、と。旅順を攻撃した兵力10万人のうち、死者は1万5000人を超えた

◆司馬遼太郎氏は、策らしい策もなく、兵士の勇敢さだけを頼みにした無理な攻撃が多大な犠牲を生んだと述べ、乃木司令部を「戦史にまれな無能司令部」と酷評している

◆司馬氏の「無能説」には一部で異論もあるが、深い精神世界をもつ求道(ぐどう)的な人柄が広く慕われただけに、合理的な思考にやや乏しい戦術家としての頼りなさが際立つのだろう

◆昭和の軍指導部はのちに、日本を勝ち目のない無謀な戦争に導いた。「愧ず」とみずからを責めた乃木の美質は継承されず、欠落部分のみが拡大して受け継がれたと言えなくもない。日露戦争とその後の歩みはいまも、日本人にはほろ苦い歴史の教材である

◆「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合(れんごう)艦隊ハ直(ただち)ニ出動、之(これ)ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪(なみ)高シ」。1905年(明治38年)の5月27日、日露戦争の「勝利」を決定づける日本海海戦の火蓋(ひぶた)が切られた。きょうで100年になる。

(2005年5月27日1時45分 読売新聞)
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