『わが愛する青空と風と大地』(自由社)
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/05/26 01:55 投稿番号: [204599 / 232612]
バダム・O・ドルジンツレン著、池田憲彦偏訳
モンゴルの外交官、大統領外交顧問、駐日モンゴル大使を務められたドルジンツレン氏の回想録。
本書を読み終えて、外交評論なのになぜか、のどかな大草原にいるような爽快さ、しかしモンゴル民族の哀しみと中ソに挟まれたゆえの歴史の悲劇が、その草むらから、羊の臭いを帯びた風とともに感性を刺激し、複雑な読後感をもたらしたのである。
このモンゴルのエリート官僚は、東西冷戦、中ソ対立の時代を生きてソ連崩壊を目の前にみた。それから十五年、モンゴル外交はいま「敵対する国に世界にひとつも持たない」ことを理想としている、という。
著者はソ連崩壊直後、モンゴルの外務次官に就任した。それまでは国連に勤務していた。
この激動期にわが海部首相がモンゴルを訪問したことがある。当時、ベーカー国務長官もウランバートルを訪問、同国はにわかに国際政治の草刈り場に変貌していく。
「だれもが市場経済の構築について話していたにもかかわらず、実際にはそれをどう運営するかを知る者は居なかった」。
と正直に書く著者自身はゴビ砂漠に接する西南モンゴルの出身で、「餌になる野草を求めての羊軍を追ってゲル(漢語でいいうパオ)による移動生活のために、極寒の冬の移動のないおりにしか小学校には通学できなかった」と率直に言う。
ソ連帝国の保護下にあったモンゴル外交もまたやり直しだった。
著者は外務省の新方針つくりに参画した。
「あたらしい段階におけるモンゴルの外交政策と国家安全保障などのコンセプトの原案作りの多くの時間を費やした」が、なにしろ情報不足、国際情勢をラジオの英語放送で掌握する程度だった、という。
イラクで湾岸戦争が勃発し、短時日裡に多国籍軍を組織化してゆく米国。
ブッシュ大統領の演説もラジオで聴いて、翻訳して閣僚に伝え、拡大会議ののちにモンゴル政府の立場を表明(多国籍軍を支持)したが、このモンゴルの湾岸戦争支持は世界初の政府決定でもあった。迅速なるもジンギスカーンのごとし。
ワシントンにロビィも持たず、世界に横溢する情報洪水を分析するプロもなく、ラジオから世界情勢を知って、しかし的確な判断をするとは、さすが風の臭いを嗅いで世界を駆けたジンギルカーンの末裔らしい処世である。
日本の若者よ、この部分を吟味して読め。朝青龍はただ強いんじゃないぞ。
対称的にあの時、日本がなにをしたか。
海部はうろたえて何も決定できず、カネだけ135億ドルもむしられ、あげくに戦争後に機雷掃海チームが活躍したが、クエートから感謝の言葉もなく、米国も冷淡だった。外交上の大失態。だが海部はまだ衆議院議員のバッジをつけている。
羊と風のモンゴルは米国が中軸の多国籍軍に真っ先に駆けつけ、外交上の殊勲賞!
いまではゴブラ・コーストといわれるアジアにおける米軍中軸の軍事演習にもちゃんと加わっている。
以下、著者は駐日モンゴル特命全権大使、くわえてフィリピン、シンガポール大使を兼任され、驚異的な外交官の八面六臂の活躍ぶり。その記録を木訥な語り口の回想記として、しかし爽快に綴られている。
牧歌的原始的な感性であっても、各国に情報のアンテナを持たなくても、根本の発想は本能的対応能力をとる。その中央アジアの英知と原始的本能的な身の処し方に本書は溢れている。いや、それこそが戦後日本がうしなったなにものかである。
最後に「いずれ中国に、モンゴルは呑みこまれる」などとごたいそうな「預言」をしたハンチントン『文明の衝突』への簡潔な反論がある。
モンゴルの外交官、大統領外交顧問、駐日モンゴル大使を務められたドルジンツレン氏の回想録。
本書を読み終えて、外交評論なのになぜか、のどかな大草原にいるような爽快さ、しかしモンゴル民族の哀しみと中ソに挟まれたゆえの歴史の悲劇が、その草むらから、羊の臭いを帯びた風とともに感性を刺激し、複雑な読後感をもたらしたのである。
このモンゴルのエリート官僚は、東西冷戦、中ソ対立の時代を生きてソ連崩壊を目の前にみた。それから十五年、モンゴル外交はいま「敵対する国に世界にひとつも持たない」ことを理想としている、という。
著者はソ連崩壊直後、モンゴルの外務次官に就任した。それまでは国連に勤務していた。
この激動期にわが海部首相がモンゴルを訪問したことがある。当時、ベーカー国務長官もウランバートルを訪問、同国はにわかに国際政治の草刈り場に変貌していく。
「だれもが市場経済の構築について話していたにもかかわらず、実際にはそれをどう運営するかを知る者は居なかった」。
と正直に書く著者自身はゴビ砂漠に接する西南モンゴルの出身で、「餌になる野草を求めての羊軍を追ってゲル(漢語でいいうパオ)による移動生活のために、極寒の冬の移動のないおりにしか小学校には通学できなかった」と率直に言う。
ソ連帝国の保護下にあったモンゴル外交もまたやり直しだった。
著者は外務省の新方針つくりに参画した。
「あたらしい段階におけるモンゴルの外交政策と国家安全保障などのコンセプトの原案作りの多くの時間を費やした」が、なにしろ情報不足、国際情勢をラジオの英語放送で掌握する程度だった、という。
イラクで湾岸戦争が勃発し、短時日裡に多国籍軍を組織化してゆく米国。
ブッシュ大統領の演説もラジオで聴いて、翻訳して閣僚に伝え、拡大会議ののちにモンゴル政府の立場を表明(多国籍軍を支持)したが、このモンゴルの湾岸戦争支持は世界初の政府決定でもあった。迅速なるもジンギスカーンのごとし。
ワシントンにロビィも持たず、世界に横溢する情報洪水を分析するプロもなく、ラジオから世界情勢を知って、しかし的確な判断をするとは、さすが風の臭いを嗅いで世界を駆けたジンギルカーンの末裔らしい処世である。
日本の若者よ、この部分を吟味して読め。朝青龍はただ強いんじゃないぞ。
対称的にあの時、日本がなにをしたか。
海部はうろたえて何も決定できず、カネだけ135億ドルもむしられ、あげくに戦争後に機雷掃海チームが活躍したが、クエートから感謝の言葉もなく、米国も冷淡だった。外交上の大失態。だが海部はまだ衆議院議員のバッジをつけている。
羊と風のモンゴルは米国が中軸の多国籍軍に真っ先に駆けつけ、外交上の殊勲賞!
いまではゴブラ・コーストといわれるアジアにおける米軍中軸の軍事演習にもちゃんと加わっている。
以下、著者は駐日モンゴル特命全権大使、くわえてフィリピン、シンガポール大使を兼任され、驚異的な外交官の八面六臂の活躍ぶり。その記録を木訥な語り口の回想記として、しかし爽快に綴られている。
牧歌的原始的な感性であっても、各国に情報のアンテナを持たなくても、根本の発想は本能的対応能力をとる。その中央アジアの英知と原始的本能的な身の処し方に本書は溢れている。いや、それこそが戦後日本がうしなったなにものかである。
最後に「いずれ中国に、モンゴルは呑みこまれる」などとごたいそうな「預言」をしたハンチントン『文明の衝突』への簡潔な反論がある。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.