『招待所』 7戸
投稿者: pichanneko 投稿日時: 2005/05/08 08:40 投稿番号: [202653 / 232612]
政府はずっと前から知っていたのでしょう。
どれだけの抗議をしているのでしょうか?
少なくとも、正式な日朝交渉でうそを重ねる北朝鮮と、まともに話し合いを続けることが、無意味だということは確かだと思います。
被害者を取り戻しにも行けない、身代金を積むことも出来ない、それなら、本気で制裁して世界を慌てさせる以外にどんな方法があるのでしょうか?
日本は、もっと変わらないといけないと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050508-00000201-yom-soci
「招待所」は7戸、平壌郊外に…拉致被害者が新証言
拉致被害者の蓮池薫さん(47)・祐木子さん(49)、地村保志さん(49)・富貴恵さん(49)の両夫妻が、1980年代半ばまで暮らした平壌郊外の集落に、同じような立場の人が暮らす「招待所」が少なくとも7戸あったことが7日、関係者の証言で分かった。
両夫妻は、安否不明の増元るみ子さんの消息などについても、北朝鮮側の説明とは異なる証言をしていることが判明。警察当局は、両夫妻が見聞きしたことを詳しく検証すれば、新事実が浮上する可能性が高いとみて捜査を進めている。
問題の集落は、平壌南部郊外の「忠龍里(チョンリョンリ)」。周囲は鉄条網と塀で囲われ、歩哨が出入りを見張る中、「招待所」と呼ばれる一軒家が少なくとも7戸建ち、監視下に置かれた人たちが世帯単位で暮らしていたとされる。
両夫妻が帰国後、関係者に語った証言によると、この7戸は、1号舎〜7号舎と名付けられ、80年には、結婚したばかりの蓮池さん夫妻(78年7月に拉致)が1号舎に、地村さん夫妻(同)が7号舎に入居した。
4年後の84年秋になると、別の集落で一緒に生活していた田口八重子さん(78年6月に拉致)と横田めぐみさん(77年11月に拉致)が3号舎で暮らし始め、翌年には、蓮池さん夫妻は6号舎に、地村さん夫妻は4号舎に転居するよう命じられた。
その直後、近くの5号舎に「工作員」だという北朝鮮の男性が入居してきた。エリートとされる工作員が招待所で暮らすのは異例で、めぐみさんは北朝鮮当局に指示され、この男性に日本語を教えることになった。86年春に田口さんが病気で入院すると、男性はめぐみさんの3号舎に移って、2人は間もなく結婚した。
86年7月になると、蓮池、地村両夫妻は平壌北部郊外の「大陽里(テヤンリ)」という集落への移動を命じられ、12月には、めぐみさんと夫もこの集落に転居したが、田口さんのその後の消息は分かっていない。
さらに関係者によると、蓮池祐木子さんは当時、身の回りの世話をしていた北朝鮮の女性から、市川修一さんとともに拉致された増元るみ子さん(78年8月に拉致)とみられる人物について、「あなたの知っている日本人女性が出産したらしい」と消息を聞いたという。これは、「増元さんは81年8月に死亡し、子どももいなかった」とする北朝鮮側の説明と大きく矛盾している。
めぐみさんと結婚した男性の名前についても、両夫妻は、本人から「キム・ヨンス」と聞いており、北朝鮮が、めぐみさんの夫の名として説明した「キム・チョルジュン」とは異なっていた。
蓮池、地村両夫妻が、忠龍里の1号舎と7号舎で暮らし始めた時、残りの招待所に誰がいたのか、そこから転居した後、誰が移ってきたのかなどについては今のところ不明だが、家族連絡会の中からは、「ほかにも、北朝鮮が認めていない拉致被害者がいたのではないか」との指摘が上がっている。めぐみさんの弟、拓也さん(36)は「北朝鮮の主張を覆す重大な事実が依然として埋もれている可能性があり、真実究明には、今後も両夫妻の協力が欠かせない」と話している。
◆招待所=北朝鮮では、主に外国人を収容する施設を指す。特殊機関が管理しており、「指導員」が出入りするとされる。帰国した拉致被害者らの証言によると、平屋建ての建物に所帯ごとに暮らしていたという。
(読売新聞) - 5月8日3時5分更新
どれだけの抗議をしているのでしょうか?
少なくとも、正式な日朝交渉でうそを重ねる北朝鮮と、まともに話し合いを続けることが、無意味だということは確かだと思います。
被害者を取り戻しにも行けない、身代金を積むことも出来ない、それなら、本気で制裁して世界を慌てさせる以外にどんな方法があるのでしょうか?
日本は、もっと変わらないといけないと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050508-00000201-yom-soci
「招待所」は7戸、平壌郊外に…拉致被害者が新証言
拉致被害者の蓮池薫さん(47)・祐木子さん(49)、地村保志さん(49)・富貴恵さん(49)の両夫妻が、1980年代半ばまで暮らした平壌郊外の集落に、同じような立場の人が暮らす「招待所」が少なくとも7戸あったことが7日、関係者の証言で分かった。
両夫妻は、安否不明の増元るみ子さんの消息などについても、北朝鮮側の説明とは異なる証言をしていることが判明。警察当局は、両夫妻が見聞きしたことを詳しく検証すれば、新事実が浮上する可能性が高いとみて捜査を進めている。
問題の集落は、平壌南部郊外の「忠龍里(チョンリョンリ)」。周囲は鉄条網と塀で囲われ、歩哨が出入りを見張る中、「招待所」と呼ばれる一軒家が少なくとも7戸建ち、監視下に置かれた人たちが世帯単位で暮らしていたとされる。
両夫妻が帰国後、関係者に語った証言によると、この7戸は、1号舎〜7号舎と名付けられ、80年には、結婚したばかりの蓮池さん夫妻(78年7月に拉致)が1号舎に、地村さん夫妻(同)が7号舎に入居した。
4年後の84年秋になると、別の集落で一緒に生活していた田口八重子さん(78年6月に拉致)と横田めぐみさん(77年11月に拉致)が3号舎で暮らし始め、翌年には、蓮池さん夫妻は6号舎に、地村さん夫妻は4号舎に転居するよう命じられた。
その直後、近くの5号舎に「工作員」だという北朝鮮の男性が入居してきた。エリートとされる工作員が招待所で暮らすのは異例で、めぐみさんは北朝鮮当局に指示され、この男性に日本語を教えることになった。86年春に田口さんが病気で入院すると、男性はめぐみさんの3号舎に移って、2人は間もなく結婚した。
86年7月になると、蓮池、地村両夫妻は平壌北部郊外の「大陽里(テヤンリ)」という集落への移動を命じられ、12月には、めぐみさんと夫もこの集落に転居したが、田口さんのその後の消息は分かっていない。
さらに関係者によると、蓮池祐木子さんは当時、身の回りの世話をしていた北朝鮮の女性から、市川修一さんとともに拉致された増元るみ子さん(78年8月に拉致)とみられる人物について、「あなたの知っている日本人女性が出産したらしい」と消息を聞いたという。これは、「増元さんは81年8月に死亡し、子どももいなかった」とする北朝鮮側の説明と大きく矛盾している。
めぐみさんと結婚した男性の名前についても、両夫妻は、本人から「キム・ヨンス」と聞いており、北朝鮮が、めぐみさんの夫の名として説明した「キム・チョルジュン」とは異なっていた。
蓮池、地村両夫妻が、忠龍里の1号舎と7号舎で暮らし始めた時、残りの招待所に誰がいたのか、そこから転居した後、誰が移ってきたのかなどについては今のところ不明だが、家族連絡会の中からは、「ほかにも、北朝鮮が認めていない拉致被害者がいたのではないか」との指摘が上がっている。めぐみさんの弟、拓也さん(36)は「北朝鮮の主張を覆す重大な事実が依然として埋もれている可能性があり、真実究明には、今後も両夫妻の協力が欠かせない」と話している。
◆招待所=北朝鮮では、主に外国人を収容する施設を指す。特殊機関が管理しており、「指導員」が出入りするとされる。帰国した拉致被害者らの証言によると、平屋建ての建物に所帯ごとに暮らしていたという。
(読売新聞) - 5月8日3時5分更新
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.