小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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無かった。

投稿者: cfx789 投稿日時: 2002/11/12 22:57 投稿番号: [20247 / 232612]
戦時中、「従軍慰安婦」は存在した。
この一語を以て、進歩的文化人や支援者達は小躍りするかも知れませんが、
それは彼らの早合点と言うものです。
私が言いたいのは、
民間業者が日本軍向けに行っていた「売春」は存在しただろうが、
日本政府・軍が「国策」として、「従軍慰安婦」に関与した事実は無いと言う事です
(両者を混同すべきではない)。
まず、当時 ── 戦後になって「従軍慰安婦」と呼ばれる事となる女性達の多くが、
大和撫子(やまとなでしこ) ── 「日本女性」だったと言う事実です。
そして、彼女達は「強制連行」されて来た訳ではなく、
自ら「志願」してその世界に飛び込んだと言う事実です。
よく、「従軍慰安婦」と言うと、軍の管理する施設に「隔離」され、
外界とは接触を許されずに、来る日も来る日も、
日本兵の相手をさせられたと言う事になっていますが、これも虚偽です。
彼女達は、食べ物にも事欠くご時世の中、
「三度の飯」が保障される「従軍慰安婦」の世界に自ら飛び込みましたが、
軍の管理する施設に隔離等されてはいませんでした。
又、時として、「客」として通ってくる常連兵士と街に出て、
ご馳走を飲み食いし、ダンスを踊ったりして楽しんだ共言います。
こう言う証言に接すると、当時の「従軍慰安婦」達と、現代の風俗嬢達と、
一体、待遇で何処が違うのか?と考えざるを得ません。

しかし、それでも、進歩的文化人や支援者達は「従軍慰安婦」はあった!!
「日本軍による強制連行」はあった!!   と声高に叫ぶでしょう。
しかし、戦後半世紀を経た今の今迄、何一つ、
「日本軍による強制連行」を裏付ける明確な資料は見つかってはいません。
あるのは、損害賠償を求める「被害者」達の証言だけ。
日韓両国間での戦後賠償が決着済みな事もありますが、
証拠資料が無い現状では、たとえ裁判をしたとしても、
裁判と言う裁判になる訳もなく、事態がより混迷・複雑化するだけです。
又、当時は、「公娼制度」 ── つまり「売春」が公認されていた時代です。
当時の日本同様に、朝鮮半島の貧村の食うや食わずの家庭で、
親が自分達の娘達を「身売り」した事もあったでしょう。
とすると、親に「身売り」された共知らない女性が、
女衒(ぜげん:遊女等の口入れ手引きを生業とする仲介業者)を、
日本軍の差し向けた「強制連行」の実行者と、
思い違いをしたとしても何ら不思議では無いのです。

「従軍慰安婦」を声高に叫ぶコリア人に問いたいと思います。
コリアでは中華秩序 ── 朝貢制度によって、
宗主国・支那と属国・コリアと言う関係が成立して以来、
歴代コリア王朝は、歴代支那王朝に対して、
「貢女」(コンニイ)と呼ばれる若い女性 ──
つまりは「宮廷慰安婦」を「献上」しており、
コリアは「貢女」の名産地として有名でした。
又、李朝時代には、「妓生庁」と言う役所を設置し、
国家管理下に、「妓生」(キーセン)を育成していました。
そして、この伝統は、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、
推進した国策としての売春観光政策(キーセン・ツアー等) ── 「売春立国」や、
北朝鮮の最高指導者・金正日(キム・ジョンイル)肝煎(きもい)りの、
「喜び組」として脈々と受け継がれているのです。
こう見てくると、コリアにおける「貢女」・「妓生」・「売春立国」政策・「喜び組」と、
「従軍慰安婦」の何処がどう違うのか?   と考えざるを得ません。
この点を明確にしないまま、日本の「従軍慰安婦」を、
殊更(ことさら)問題にするコリアの不条理こそ、問題ではないでしょうか?
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