在日同士の争いなのになんで歴史とか差別とかがでてくんだ?わからんのぉ〜〜〜?
ウトロについてまとめた人のサイト
http://hyper2.amuser-net.ne.jp/~auto/b19/usr/cha2maru3/brd1/comdsp.cgi?611&&&30この問題のキーポイントになる人物「平山(許)益夫」でして、
彼はウトロに古くから住み、日産車体が土地を彼個人に3億円で売却した当時、
ウトロ地区の自治会会長を務めていました。
その後、彼は不動産会社(地上げ屋)西日本殖産を設立し、
この会社にウトロの地を4.5億円で売却しています。
そして、現在、この西日本殖産(地上げ屋)とウトロ地区の住民との間でトラブルが生じているわけです。
つまり、一言で言うならば、
【ウトロ地区の自治会長がウトロ住民の期待を裏切り、地上げ屋となり、
ウトロ地区の住民に立ち退きを求めたのが「ウトロ訴訟」です。】
87年3月: 日産車体が平山益夫に売却、3億円
87年5月: 平山益夫が西日本殖産に売却、4.5億円
平山については、以下のように記述があります。
>平山が戦前からウトロ地区に居住し、当時自治会長を務めていたこと、
>ウトロ地区という親密な空間で被控訴人(雷注:ウトロ住民)らと
>日常生活を共にすることにより、
その後、西日本殖産がウトロ地区住民に、土地売却の話を持ち掛けます。
>被控訴人会社(雷注:西日本殖産)は住民に対し、1988年
>(昭和63年)9月1日ころ、「日産車体からの購入価格に登記料、
>利息及び付帯経費を加えた金額」での早期買取りを通告してきたが、
>その金額は、具体的には4億5000万であった。
97年1月29日に京都地裁より和解案が提示されます。
その和解案とは、「総額14億円でウトロ住民が一括買収する」というものでした。
予想以上の高額に、ウトロ住民側はこの和解案を拒否します。
この和解案拒否により、裁判は裁判長による結審となり、
その後、最高裁にまで持ち越され、1999年6月24日最高裁の上告棄却により住民側敗訴が決定しました。
以上が簡単な経緯となります。
「ウトロ訴訟」の直接的な当事者は、
【強者(立ち退き要求をしている者)も、弱者(立ち退かなければ行けない者)も「在日」である】
というのが、
一般に出来ているイメージ(日本という差別社会で虐げられている在日)
と異なる構造を持っています。それゆえ、
【「歴史的背景云々」というのは筋違いである】
と思われます。ウトロ訴訟で面白いと思うのは、
新聞記事などを参照しても、現在の所有者である西日本殖産という会社が、
ウトロ地区の自治会長自らが設立した地上げ屋であるという説明が十分にされていないことで、それにより
【「在日」対「在日」の対立であるということに、私自身も今まで全く気づいていませんでした。】