「ブロードキャスター」で伊四百一潜
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/05/01 19:32 投稿番号: [202052 / 232612]
昨日放送された「イ-401号」特殊潜水艦、というより潜水空母。20年先を行く潜水艦という評価がありました。パナマ運河爆撃に搭載されたという晴嵐、洋上に浮上して15〜6分で飛行できたそうです。型は水上飛行艇ですが、潜水艦搭載のカタパルトから離船した。戦後のミサイル搭載大型潜水艦の先駆けだったといいます。
航空母艦といい艦載戦闘機といい潜水空母といい、日本海軍の先進性が際立つわけですが、戦後の米海軍に日本海軍が大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。そのうち海軍五省も真似するかもしれません。
http://www.geocities.jp/aisosutasy/gosei.html
「ブロードキャスター」で伊四百一潜 - 2005/4/30(土)23:26 - 神立尚紀
今日のTBS「ブロードキャスター」で、ハワイ沖で発見(?)された、旧帝国海軍の潜水艦伊四百一の水中映像とともに、現存される艦長、飛行長、砲術長のインタビューが紹介されていましたね。
発見(?)と書いたのは、そのへんで伊四百一潜が沈んでいることはわかっていたわけですから、潜って場所を確認したに過ぎず、「発見」という言葉にはあたらないと思うからですが、それはともかく、大戦末期、20年6月に作戦が変更されるまで、潜水艦搭載の攻撃機でパナマ運河を爆撃する(しかも、インド洋、大西洋経由で)という壮大な作戦を大真面目に実行しようとしていたことは驚嘆に値します。
搭載された「晴嵐」のことは、元海軍搭乗員でも、ご存知ない人が多いようです。
伊四百一潜飛行長(兼六三四空飛行隊長)淺村敦大尉(兵70)には、昨年出版した拙著「戦士の肖像」にご登場いただいていますが、お元気そうで何よりでした。
また、艦長南部是清少佐(兵61)も、最近、体調を崩されているようだと岩下会長から伺っていましたが、なんのなんの、インタビューを受ける姿は、背筋もシャンと伸びておられて、実にシャープな海軍士官そのもの、とても93歳には見えませんでした。
http://www.b-b.ne.jp/bbs/zero/trees.cgi?log=&v=2998&e=msg&lp=2998&st=0
艦の略歴
1945年(昭和20年) 1月8日 佐世保工廠にて竣工
1945年(昭和20年) 4月11日
第一潜水隊(伊400、伊401、伊13、伊14)の一艦として、有泉司令を乗せて満州大連まで燃料の補給に向かう。呉港外早瀬の瀬戸で座礁。12日朝には伊予灘姫島灯台近くで米軍磁気機雷に触れ損傷し、ドック入りする。
1945年(昭和20年) 6月1日
呉を出港。七尾湾に集結。しかし、パナマ運河爆砕計画は中止となる。
1945年(昭和20年) 7月23日
米軍の前進基地であるウルシー環礁を攻撃するため、大湊を午後4時出港。月が頭上に輝く午後8時15分頃、津軽海峡を東航していたところ北海道汐首の海峡防備の陸軍部隊から砲撃を受け、左舷後方300mに数発の砲弾が落下したため、急速潜航をする。
1945年(昭和20年) 7月27日
航程消化のため19ノットで水上航行を行っていたが、猛烈な台風に突入。二日間にわたる長時間潜航で台風を回避。30日にようやく台風の圏外に出る。南鳥島を過ぎる頃米軍の飛行機の接近を認めて急速潜航する。南下するにつれ西航する米艦艇と飛行機の大集団に遭遇するため航路を変更し、マーシャル諸島の東を大きく迂回する。
1945年(昭和20年) 8月14日
日没30分前、ポナペ島の南方100海里の第一会合予定地点に浮上。翌15日も同時刻で浮上し会合を待ったが伊400の姿を捉えることができなかった。そのため、単独でウルシー環礁攻撃をすることに決定した。しかし、15日夜から16日にかけて、相次いで終戦の詔勅や先遣部隊指揮官から電信電報が入り日本の敗戦を認識した。
1945年(昭和20年) 8月16日
ウルシー攻撃の作戦行動を取りやめ呉に帰航すべく反転した。
1945年(昭和20年) 8月26日
海軍総隊司令部からの命令により、搭載機3機、爆弾、魚雷をすべて海中投棄し、降伏を示す黒色三角旗を掲げる。
1945年(昭和20年) 8月29日
金華山の東方200海里を北北西に水上航走していたところ、米潜水艦セガント(SS398)と遭遇。掌捕され横須賀に向かう。
1945年(昭和20年) 8月31日 5時軍艦旗を下ろす。早朝、有泉司令自決、密かに水葬する。
1945年(昭和20年) 9月15日 除籍
1945年(昭和20年) 9月30日
米側に操艦法を教えた後、乗組員は釈放される。伊401は重要参考艦として米海軍第20潜水戦隊の隊員の手で米本土に回航された。
1946年(昭和21年) 5月31日 ハワイ諸島沖で米海軍機によって新兵器実験の標的として爆破され
航空母艦といい艦載戦闘機といい潜水空母といい、日本海軍の先進性が際立つわけですが、戦後の米海軍に日本海軍が大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。そのうち海軍五省も真似するかもしれません。
http://www.geocities.jp/aisosutasy/gosei.html
「ブロードキャスター」で伊四百一潜 - 2005/4/30(土)23:26 - 神立尚紀
今日のTBS「ブロードキャスター」で、ハワイ沖で発見(?)された、旧帝国海軍の潜水艦伊四百一の水中映像とともに、現存される艦長、飛行長、砲術長のインタビューが紹介されていましたね。
発見(?)と書いたのは、そのへんで伊四百一潜が沈んでいることはわかっていたわけですから、潜って場所を確認したに過ぎず、「発見」という言葉にはあたらないと思うからですが、それはともかく、大戦末期、20年6月に作戦が変更されるまで、潜水艦搭載の攻撃機でパナマ運河を爆撃する(しかも、インド洋、大西洋経由で)という壮大な作戦を大真面目に実行しようとしていたことは驚嘆に値します。
搭載された「晴嵐」のことは、元海軍搭乗員でも、ご存知ない人が多いようです。
伊四百一潜飛行長(兼六三四空飛行隊長)淺村敦大尉(兵70)には、昨年出版した拙著「戦士の肖像」にご登場いただいていますが、お元気そうで何よりでした。
また、艦長南部是清少佐(兵61)も、最近、体調を崩されているようだと岩下会長から伺っていましたが、なんのなんの、インタビューを受ける姿は、背筋もシャンと伸びておられて、実にシャープな海軍士官そのもの、とても93歳には見えませんでした。
http://www.b-b.ne.jp/bbs/zero/trees.cgi?log=&v=2998&e=msg&lp=2998&st=0
艦の略歴
1945年(昭和20年) 1月8日 佐世保工廠にて竣工
1945年(昭和20年) 4月11日
第一潜水隊(伊400、伊401、伊13、伊14)の一艦として、有泉司令を乗せて満州大連まで燃料の補給に向かう。呉港外早瀬の瀬戸で座礁。12日朝には伊予灘姫島灯台近くで米軍磁気機雷に触れ損傷し、ドック入りする。
1945年(昭和20年) 6月1日
呉を出港。七尾湾に集結。しかし、パナマ運河爆砕計画は中止となる。
1945年(昭和20年) 7月23日
米軍の前進基地であるウルシー環礁を攻撃するため、大湊を午後4時出港。月が頭上に輝く午後8時15分頃、津軽海峡を東航していたところ北海道汐首の海峡防備の陸軍部隊から砲撃を受け、左舷後方300mに数発の砲弾が落下したため、急速潜航をする。
1945年(昭和20年) 7月27日
航程消化のため19ノットで水上航行を行っていたが、猛烈な台風に突入。二日間にわたる長時間潜航で台風を回避。30日にようやく台風の圏外に出る。南鳥島を過ぎる頃米軍の飛行機の接近を認めて急速潜航する。南下するにつれ西航する米艦艇と飛行機の大集団に遭遇するため航路を変更し、マーシャル諸島の東を大きく迂回する。
1945年(昭和20年) 8月14日
日没30分前、ポナペ島の南方100海里の第一会合予定地点に浮上。翌15日も同時刻で浮上し会合を待ったが伊400の姿を捉えることができなかった。そのため、単独でウルシー環礁攻撃をすることに決定した。しかし、15日夜から16日にかけて、相次いで終戦の詔勅や先遣部隊指揮官から電信電報が入り日本の敗戦を認識した。
1945年(昭和20年) 8月16日
ウルシー攻撃の作戦行動を取りやめ呉に帰航すべく反転した。
1945年(昭和20年) 8月26日
海軍総隊司令部からの命令により、搭載機3機、爆弾、魚雷をすべて海中投棄し、降伏を示す黒色三角旗を掲げる。
1945年(昭和20年) 8月29日
金華山の東方200海里を北北西に水上航走していたところ、米潜水艦セガント(SS398)と遭遇。掌捕され横須賀に向かう。
1945年(昭和20年) 8月31日 5時軍艦旗を下ろす。早朝、有泉司令自決、密かに水葬する。
1945年(昭和20年) 9月15日 除籍
1945年(昭和20年) 9月30日
米側に操艦法を教えた後、乗組員は釈放される。伊401は重要参考艦として米海軍第20潜水戦隊の隊員の手で米本土に回航された。
1946年(昭和21年) 5月31日 ハワイ諸島沖で米海軍機によって新兵器実験の標的として爆破され
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.