小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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野蛮の歴史 死刑にすぐする国家

投稿者: ahoahoitizoku 投稿日時: 2005/04/17 19:10 投稿番号: [200781 / 232612]
華僑と孫子
華僑はいつのころから生まれたか。なんと周王朝のときに生まれたという説がある。
周は厳しい厳罰主義で、なにかといえばすぐ死刑。酒宴を開いても死刑だったとか。
死刑でなければ、顔へ焼印を押したり、鼻や手足を切る刑であった。
おそれをなした難民は、現在の東北地方や朝鮮半島に、そして一部は日本に渡った。
南に向かった者たちは揚子江をこえておだやかなタイ・シャン族のいる東南アジアにまで達した。
そのうちに戦国時代となり、専制的な諸侯と、その協力者である宰相、将軍たちが支配的地位にあった。
商人は権力を得るために富を求め、役人は富を得るために権力を求めた。
法律を作り、警察と軍を支配する役人には勝てない商人は、贈賄によって利権を守ろうとした。
ときには、賄賂を送った者も送られた者も捕らえられ、一族は南方の未開の地に追放された。
そんなふうにして、江南の地、越と呼ばれる地域に才気あふれる華僑の先祖たちが地位をかためていったという。

孫子は二人いたという説がある。孫武(そんぶ)とその子孫の孫賓(肉づき)のことをさすという。
孫子の兵法は竹簡に書かれている(昔の書物だから)。孫子らの活躍で呉の国は楚の国を破ることができた。
越王勾践の王位継承を見て、チャンスとばかり、呉王は伍子胥(ごししょ)や孫武を軍師に、越の国
に戦いをいどむが、越王勾践(こうせん)の名軍師范蠡(はんれい)の奇手にあい敗北する。呉王は息子
夫差(ふさ)に「越王勾践が、おまえの父を殺したのを忘れるなよ。」と言い残して死ぬ。   臥薪嘗胆
呉と越は以後ライバルとしてにらみあう。呉王夫差をいさめた伍子胥は王から死をたまわる。
長い戦いの末、越王勾践は呉王夫差を倒す。しかし、范蠡は身の危険を感じ、報償も栄誉も辞退して身を隠してしまう。
伍子胥が王から自殺を求められたとき、孫武も自分も危険と察したのか、まもなく司馬遷の史記からも消えている。
狡兎死して走狗煮らる(こうとししてそうくにらる): 目的を達成すれば不要となった人間は殺される

戦って敵を打ち破るのは上策とはいえない。戦わずして敵を倒すことが上々策である。
孫子の思想を、商売や生き残りに活かしてきた一番の実践者は華僑であろう。
(スターリング・シーグレーブ、華僑王国、サイマル出版会)

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