特定失踪者の家族 『時間がない』(4)
投稿者: aoinomama13 投稿日時: 2005/04/02 12:55 投稿番号: [197681 / 232612]
*3/13にTBSで放送された「報道特集」を、ビデオに撮ったものから文字化しました。
http://aoinomama.trycomp.net/
電脳補完録さんにも投稿しております。
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 続き
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3759
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3797
続き
(ナレーター)
雪に覆われた田畑、そして山々。ここ新潟県巻町にも特定失踪者の家族が住んでいます。
(次兄・大澤茂樹さん)
「私も親父が元気なうちにね、せめて弟との再会を果たしてやりたくてですね・・・。」
(ナレーター)
生島うらさんの葬儀にも駆けつけた大澤茂樹さん。特定失踪者「大澤孝司さん」の兄です。この日は自宅がある横浜から、父親が住んでいる実家へと向っていました。
新潟県の職員として佐渡の農地事務所に働いていた「大澤孝司さん」。1974年2月、夕食をとった焼肉店を出た後、姿を消してしまいました。曽我ひとみさんが拉致される4年前、同じ佐渡で起こった失踪事件。現金や通帳などは寮に残されたままで、失踪する理由も見あたりませんでした。
巻町ではもう1人の兄、昭一さん(69)が待っていました。地元の霊山、弥彦山をバックにこんな看板を立てた人物です。
「今年こそ 拉致問題の全面解決と 日本人全員の早期救出を」
(長兄・大澤昭一さん)
「この看板を一刻も早く取れればいいなぁと思っています。」
(ナレーター)
看板から少し離れたところにある孝司さんの自宅。その入口の脇に新聞を読んでいるお年寄りがいました。毎日ここに座りながら息子の帰りを待っているのです。福一郎さんは現在95歳。足は多少弱っていますが元気だといいます。
(父・大澤福一郎さん)
「孝司の父親でございます。いつもお世話になりましてありがとうございます。」(取材者に向って深々と頭を下げる)
(ナレーター)
私たちは孝司さんがいなくなった当時のことを聞きました。
(父・大澤福一郎さん)
「何が(失踪の)原因なのか、私と家内と話してもわからんかったし・・・。」
(取材者)
「北朝鮮の拉致とかそういったことは?」
(父・大澤福一郎さん)
「全然なかったです。ただ『神隠し』ね。これ以上捜さんと出ねえと・・・。まぁ、『神隠し』になって、わからん状態になるかもしんねえと、警察署長の話を聞きましたね。」
(ナレーター)
失踪直前には縁談も考えられていたという孝司さん。福一郎さんは息子のために、巻町に宅地を買いました。今でもそのことが頭から離れません。
(取材者)
「孝司さんに会いたいですか?」
(父・大澤福一郎さん)
「・・・、うん、やっぱしこの写真(部屋に飾られている)ばっか見てても情はわきませんし。いっぺん(顔を)見たいという気持ちがありますね。(孝司さんのために買った)宅地を見る時、感慨無量になりますね。」
続く
http://aoinomama.trycomp.net/
電脳補完録さんにも投稿しております。
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 続き
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3759
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3797
続き
(ナレーター)
雪に覆われた田畑、そして山々。ここ新潟県巻町にも特定失踪者の家族が住んでいます。
(次兄・大澤茂樹さん)
「私も親父が元気なうちにね、せめて弟との再会を果たしてやりたくてですね・・・。」
(ナレーター)
生島うらさんの葬儀にも駆けつけた大澤茂樹さん。特定失踪者「大澤孝司さん」の兄です。この日は自宅がある横浜から、父親が住んでいる実家へと向っていました。
新潟県の職員として佐渡の農地事務所に働いていた「大澤孝司さん」。1974年2月、夕食をとった焼肉店を出た後、姿を消してしまいました。曽我ひとみさんが拉致される4年前、同じ佐渡で起こった失踪事件。現金や通帳などは寮に残されたままで、失踪する理由も見あたりませんでした。
巻町ではもう1人の兄、昭一さん(69)が待っていました。地元の霊山、弥彦山をバックにこんな看板を立てた人物です。
「今年こそ 拉致問題の全面解決と 日本人全員の早期救出を」
(長兄・大澤昭一さん)
「この看板を一刻も早く取れればいいなぁと思っています。」
(ナレーター)
看板から少し離れたところにある孝司さんの自宅。その入口の脇に新聞を読んでいるお年寄りがいました。毎日ここに座りながら息子の帰りを待っているのです。福一郎さんは現在95歳。足は多少弱っていますが元気だといいます。
(父・大澤福一郎さん)
「孝司の父親でございます。いつもお世話になりましてありがとうございます。」(取材者に向って深々と頭を下げる)
(ナレーター)
私たちは孝司さんがいなくなった当時のことを聞きました。
(父・大澤福一郎さん)
「何が(失踪の)原因なのか、私と家内と話してもわからんかったし・・・。」
(取材者)
「北朝鮮の拉致とかそういったことは?」
(父・大澤福一郎さん)
「全然なかったです。ただ『神隠し』ね。これ以上捜さんと出ねえと・・・。まぁ、『神隠し』になって、わからん状態になるかもしんねえと、警察署長の話を聞きましたね。」
(ナレーター)
失踪直前には縁談も考えられていたという孝司さん。福一郎さんは息子のために、巻町に宅地を買いました。今でもそのことが頭から離れません。
(取材者)
「孝司さんに会いたいですか?」
(父・大澤福一郎さん)
「・・・、うん、やっぱしこの写真(部屋に飾られている)ばっか見てても情はわきませんし。いっぺん(顔を)見たいという気持ちがありますね。(孝司さんのために買った)宅地を見る時、感慨無量になりますね。」
続く
これは メッセージ 197680 (aoinomama13 さん)への返信です.