特定失踪者の家族 『時間がない』(2)
投稿者: aoinomama13 投稿日時: 2005/04/02 12:52 投稿番号: [197679 / 232612]
*3/13にTBSで放送された「報道特集」を、ビデオに撮ったものから文字化しました。
http://aoinomama.trycomp.net/
電脳補完録さんにも投稿しております。
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 続き
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3759
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3797
続き
2/11東京世田谷。生島うらさん。享年99。拉致の可能性が否定できない特定失踪者「生島孝子さん」の母親です。うらさんの娘「生島孝子さん」は、1972年東京渋谷区で姿を消しました。家出をするような理由は何もありませんでした。特定失踪者問題調査会では「生島孝子さん」を拉致の可能性が濃厚な33人の1人にあげています。
生前、うらさんはこう話していました。(2004年6月)「あの子は心の優しい子でしたけど、だけどすごく優しい半面、しっかりした、ものすごくしっかりした、気の強いところが、芯の強い性格の子だったもんですから、どこかで自立して生きているんじゃないかと、それをそういうふうに信じるようになっちゃって・・・」
(ナレーター)
うらさんは、2人の姉妹と一緒に孝子さんの生存を信じ続けてきました。(姉の馨子さん65・妹の敦子さん60)
その思いが通じたのか、孝子さんによく似た女性を目撃したという人物が現れました。2004年6月 韓国ソウル。韓国人経済学者呉吉男(オ・ギルナム)博士。1985年から1年間、平壌の高級アパートで暮らしていました。彼はそこで会話をした日本人女性が「生島孝子さんに似ていた」と姉の馨子さんに伝えました。
(VTRで呉吉男氏の話)
「この写真とこの写真、この写真は皆繋がります。こういう姿の人を私は一度見たことがあるんです。繋がります。ほぼ80〜90%間違いないです。背も容姿も年齢も・・・。」
(ナレーター)
その翌日。(2004年6月 東京新宿)
(姉・生島馨子さん)
「ただいま」
(母・生島うらさん)
「おかえりなさい」
(ナレーター)
うらさんは、帰国した馨子さんから報告を聞きました。
(姉・生島馨子さん)
「少し良い話があった」
(母・生島うらさん)
「良く頑張ったねぇ。きっと苦労したんだろうねぇ・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「見つかって、こっちに帰って来れるといいね」
(母・生島うらさん)
「ああ、帰れるようになればね・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「105歳まで生きなきゃなんないのかな?」
(母・生島うらさん)
「えっ、あと5年・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「あと5年、頑張れる?」
(母・生島うらさん)
「5年なんて頑張れない、あと1年くらい・・・」(涙がこぼれる)
続く
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電脳補完録さんにも投稿しております。
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3755
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 続き
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3759
*3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3797
続き
2/11東京世田谷。生島うらさん。享年99。拉致の可能性が否定できない特定失踪者「生島孝子さん」の母親です。うらさんの娘「生島孝子さん」は、1972年東京渋谷区で姿を消しました。家出をするような理由は何もありませんでした。特定失踪者問題調査会では「生島孝子さん」を拉致の可能性が濃厚な33人の1人にあげています。
生前、うらさんはこう話していました。(2004年6月)「あの子は心の優しい子でしたけど、だけどすごく優しい半面、しっかりした、ものすごくしっかりした、気の強いところが、芯の強い性格の子だったもんですから、どこかで自立して生きているんじゃないかと、それをそういうふうに信じるようになっちゃって・・・」
(ナレーター)
うらさんは、2人の姉妹と一緒に孝子さんの生存を信じ続けてきました。(姉の馨子さん65・妹の敦子さん60)
その思いが通じたのか、孝子さんによく似た女性を目撃したという人物が現れました。2004年6月 韓国ソウル。韓国人経済学者呉吉男(オ・ギルナム)博士。1985年から1年間、平壌の高級アパートで暮らしていました。彼はそこで会話をした日本人女性が「生島孝子さんに似ていた」と姉の馨子さんに伝えました。
(VTRで呉吉男氏の話)
「この写真とこの写真、この写真は皆繋がります。こういう姿の人を私は一度見たことがあるんです。繋がります。ほぼ80〜90%間違いないです。背も容姿も年齢も・・・。」
(ナレーター)
その翌日。(2004年6月 東京新宿)
(姉・生島馨子さん)
「ただいま」
(母・生島うらさん)
「おかえりなさい」
(ナレーター)
うらさんは、帰国した馨子さんから報告を聞きました。
(姉・生島馨子さん)
「少し良い話があった」
(母・生島うらさん)
「良く頑張ったねぇ。きっと苦労したんだろうねぇ・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「見つかって、こっちに帰って来れるといいね」
(母・生島うらさん)
「ああ、帰れるようになればね・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「105歳まで生きなきゃなんないのかな?」
(母・生島うらさん)
「えっ、あと5年・・・。」
(姉・生島馨子さん)
「あと5年、頑張れる?」
(母・生島うらさん)
「5年なんて頑張れない、あと1年くらい・・・」(涙がこぼれる)
続く
これは メッセージ 197678 (aoinomama13 さん)への返信です.