江戸の元気
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/03/18 22:51 投稿番号: [193453 / 232612]
時代小説を書くために江戸を勉強して、イメージがずい分変わりました。切捨てゴメンで侍が威張り、庶民は小さくなっていると思っていましたが、法の下の平等もかなり実現していました。面白いのは、女が威勢よかったということです。家康開府の街作りで地方から集まってくるのは全部男。女もいなきゃ不自由ということで岡場所ができ、後には故郷から女房を呼んで連れてくるものも増え、女の子も生まれましたが、それでも人口比は男3人に女1人ぐらい。女の売れ口がないことはありえなかったようです。
威 張 っ て い た 庶 民 の 女 性
女の職業で一番ポピュラーだったのが女中さん。「女中」は今は差別語だそうですが、江戸時代、武士が女の人を「もし、ご女中」と呼び止めたら、欧米の「レディー」ぐらいの感覚でした。奉公先で行儀、あいさつ、料理、縫い物などを教えてもらい、江戸の水で磨かれた女中さん。明治以降、お手伝いさんを女中と呼ぶようになったのは、他の奉公とは違うというプライドがあったのです。
文政2年、神田の大火で焼死者に若い女性が多かったとき、地方の娘さんが江戸奉公を嫌がり、女中さんの給料が2倍に跳ね上がりました。それも、子供やお年寄りの多い家はだめ、やぶ入りは10日欲しいといった条件が受けいれられれば働いてもいいという鼻息の荒さです。「嫁して3年子無きは去る」は武士の世界の話で、庶民の方は女性が威張っていました。
法 の 運 用 に も 道 理 の 感 覚
法律の運用も公平でしゃれっ気がありました。将軍家斉の30何人かいた子供の1人、斉宣が明石藩に養子に行って藩主になり、参勤交代で江戸に向かう途中、尾張領の木曽路で行列を横切った3歳の幼児の首を刎ねました。利口な殿様なら「子犬が横切った」ぐらいで済ますのですが、斉宣は家来が止めるひまもなく切ってしまったのです。
尾張藩は「君主のなせる業にあらず」として行列の領内通行を拒否。幕府の老中が、一人一人ばらばらに通る分には差し支えなかろうという裁定を出し、どうにか江戸に行き着けました。しかし一年後の帰り道、お供のつかない籠で同じ場所を通過しようとしたところを猟師で鉄砲打ちの名人だった幼児の父親に狙撃されて死んでしまいます。
「殿様が鉄砲で撃ち殺された」では、間違いなくお家断絶ですから、国に帰ってから病死したと幕府に届を出して明石藩は存続。病気で亡くなったのだから撃ち殺された者はいない。自首した父親は何か夢でも見たのだろうということで、一切おとがめなし。
江戸時代はこういうことがよく起きています。何をもって正義とし、何をもって不正義とするか。そのへんの道理をきちっとわきまえ、やぶをつついて蛇を出すようなへまはしなかった。江戸の元気はそのあたりからきているのかなと思うわけです。
作家 平岩弓枝氏(本日の日経夕刊より)
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尾張藩というところがポイントでしょうが近代という物差しを捨てれば、江戸時代をはじめ昔は結構いい時代だったようです。
威 張 っ て い た 庶 民 の 女 性
女の職業で一番ポピュラーだったのが女中さん。「女中」は今は差別語だそうですが、江戸時代、武士が女の人を「もし、ご女中」と呼び止めたら、欧米の「レディー」ぐらいの感覚でした。奉公先で行儀、あいさつ、料理、縫い物などを教えてもらい、江戸の水で磨かれた女中さん。明治以降、お手伝いさんを女中と呼ぶようになったのは、他の奉公とは違うというプライドがあったのです。
文政2年、神田の大火で焼死者に若い女性が多かったとき、地方の娘さんが江戸奉公を嫌がり、女中さんの給料が2倍に跳ね上がりました。それも、子供やお年寄りの多い家はだめ、やぶ入りは10日欲しいといった条件が受けいれられれば働いてもいいという鼻息の荒さです。「嫁して3年子無きは去る」は武士の世界の話で、庶民の方は女性が威張っていました。
法 の 運 用 に も 道 理 の 感 覚
法律の運用も公平でしゃれっ気がありました。将軍家斉の30何人かいた子供の1人、斉宣が明石藩に養子に行って藩主になり、参勤交代で江戸に向かう途中、尾張領の木曽路で行列を横切った3歳の幼児の首を刎ねました。利口な殿様なら「子犬が横切った」ぐらいで済ますのですが、斉宣は家来が止めるひまもなく切ってしまったのです。
尾張藩は「君主のなせる業にあらず」として行列の領内通行を拒否。幕府の老中が、一人一人ばらばらに通る分には差し支えなかろうという裁定を出し、どうにか江戸に行き着けました。しかし一年後の帰り道、お供のつかない籠で同じ場所を通過しようとしたところを猟師で鉄砲打ちの名人だった幼児の父親に狙撃されて死んでしまいます。
「殿様が鉄砲で撃ち殺された」では、間違いなくお家断絶ですから、国に帰ってから病死したと幕府に届を出して明石藩は存続。病気で亡くなったのだから撃ち殺された者はいない。自首した父親は何か夢でも見たのだろうということで、一切おとがめなし。
江戸時代はこういうことがよく起きています。何をもって正義とし、何をもって不正義とするか。そのへんの道理をきちっとわきまえ、やぶをつついて蛇を出すようなへまはしなかった。江戸の元気はそのあたりからきているのかなと思うわけです。
作家 平岩弓枝氏(本日の日経夕刊より)
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尾張藩というところがポイントでしょうが近代という物差しを捨てれば、江戸時代をはじめ昔は結構いい時代だったようです。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.