日本兵の「心」忘れない
投稿者: kuecoe 投稿日時: 2005/03/05 20:47 投稿番号: [187369 / 232612]
英国女性:
日本兵の「心」忘れない
来日、遺族と面会へ
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050305k0000e040045000c.html
第二次世界大戦中、日本が占領したビルマ(現ミャンマー)で、敵国人として抑留生活を送った英国人女性が当時、心を通い合わせた日本兵がいた。60年以上を経ても忘れることのなかった兵士を、女性は一葉の写真だけを頼りに捜した。既に亡くなっていたが、遺族が東京にいることが分かった。7日に来日し、面会する。兵士の子供たちに「素晴らしい人だった」と伝えるつもりだ。
女性は英国・ランカシャー在住のシーリア・ミードさん(66)。当時、父が政府職員として英国領だったミャンマーで勤務しており、ミードさんはそこで生まれ育った。
日本軍のミャンマー進攻は1942年1月。「爆弾で家を破壊され、避難先の防空壕(ごう)もやられた」とミードさんは言う。間もなく家族は抑留生活を強いられ、1歳になったばかりの弟を亡くす。
日本兵との出会いはそんな時だった。英語で話し、食べ物をこっそり差し入れてくれるなど気遣ってくれた。
ある日、兵士は「別の場所へ移動する。そこは戦闘が激しく生きて帰れないかもしれない。戦争が終わったらぜひ日本へ桜を見に行ってほしい」と語り、出征する兵士の無事を祈る「千人針」を手渡してくれた。それが最後だったという。ミードさんは当時5歳か6歳。だが兵士との交流は幼い心に深く刻まれた。
45年、戦争が終わり、ミードさんは本国に帰ったが、兵士からもらった写真は大切に保管していた。昨年、日本軍の捕虜だった元英国兵士らも加わる英国の慈善団体の旅で、日本を訪ねることになったのをきっかけに、兵士のことを団体に相談。写真の裏に書かれていた「東京淀橋区(現新宿区)」という住所や、表の名前から昨秋、兵士が加藤克正さんと判明した。
加藤さんは無事復員して、貿易関係の仕事に就き、3人の子供にも恵まれたが、79年に67歳で亡くなっていた。このため、加藤さんの子供と孫の計5人がミードさんと19日に東京で面会する。
長男晴弘さん(51)は「父は戦争のことをほとんど語らなかったのでとても驚いた。父のアルバムを持って行き、話を聞きたい」と言う。
ミードさんは「自分の千人針まで私にくれた。親切に接してくれた加藤さんの人柄のすばらしさを伝えたい」と語っている。【西脇真一】
こうした記事から伺い知れる日本兵の姿は、朝日、毎日、筑紫の主張する実態とは全く無縁のもの。
外務省よ、中共や朝鮮の捏造をそのまま放置することなく、速やかに、日本の名誉を回復すべきです。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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