小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>何が残留孤児だよ

投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/03/02 23:30 投稿番号: [185750 / 232612]
僕の、二人の伯父(父方と母方の両方)は、渡満しています。

父方の伯父は満州で郵便局に勤めていたと記憶しています。
母方の伯父は開拓団の一員だったそうです。

父方の伯父は渡満するまで何をしていたか、忘れましたが、実家には伯父が作った映画?の脚本があります。
わら半紙にガリ版刷りで簡単な製本がなされています。赤穂浪士の浅野内匠頭が切腹
をする直前、片岡源五右衛門と別れを惜しんでいるシーンだったと思います。
父の話では映画関係の仕事に務めたかったようです。手先が非常に器用で木製の小型
グライダーを作ってみたり、自転車に背面乗りして皆を驚かせたり、父の父(僕に
とっては祖父)からはとても信頼が篤かったようです。

すでに長男が病死(陸軍伍長)し、内地にいてじきに戦地に行くよりは、祖父は才能
を生かせる場ではないかと、満州へ行かせたそうです。

母方の伯父も勉強もよくでき、体力もあり、近所では評判の人物だったそうです。家族の自慢だったそうです。
大分昔に見た写真に写っている伯父の顔は、僕の顔にそっくりでした。

二人の伯父は、残念ながら日本へ帰ることができませんでした。
父方の伯父は終戦後、帰国をしようとしていたそうですが、大連で病死したと聞いて
います。
母方の伯父も終戦後、近いうちに帰ると、日本に帰国していた同じ開拓団にいた人か
ら便りあたったようなのですが、腸チフスかなにかに罹ってやはり当地で息を引き取
りました。

二人の伯父は満州で家庭を持つことはなかったので、中国に取り残された肉親は一人
もいませんでした。


普段から意識していることでもないですので、何ほどのことを言えるわけではありま
せん。

母方の実家はお寺でして、土地解放令でかなり没落したようですが、その後は盛り返
したので、仮に戦後数十年たって帰国した伯父やその家族を受け入れることはできた
かもしれませんが、父方のほうは皆勤め人ですから、協力はできたかも知れません
が、だれも伯父の家族を養うことはできなかったと思います。

残留孤児、その子供たち。日本で暮らすのもたいへんだと思います。

みんながみんな、人の道にそれてしまうことをしているわけではないと思います。
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