2/10東京集会5 有本嘉代子さん(8)
投稿者: aoinomama13 投稿日時: 2005/03/01 14:15 投稿番号: [184753 / 232612]
*撮影したビデオカメラより文字化しました。
http://aoinomama.trycomp.net/
続き
私どもはその(『ウニタ書房』の)遠藤忠夫さんと1年あまりお付き合いしました。だけど北海道の方(石岡さん)は、ハッキリ申し上げたら「得体のわからない方だから、私のところはもう付き合いません」って「私はこのままでいきます」とおっしゃって、私どもはその方(遠藤忠夫氏)と1年以上お付き合いしました。
*松木信宏 『一通の手紙から全てが始まった...』 「蒼いことばの絆」より
http://blue-in-blue.com/column/006.html
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(引用)
母は私に『他人は勿論、親類、姉達にも一切話すな』とだけ私に命じた。石岡さんもウニタ書房・NHK記者たちの会見妨害以降、『マスコミ』に対して不信感をもった。若すぎた私は『沈黙』という、傍から見れば極めて後向きな姿勢でもって臨むしか選択肢がなかった。思いつかなかったというのが正解かもしれない。
(引用終わり)
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それで(遠藤忠夫氏に)「大阪に絵本を仕入れに行く」と言われたら、「ちょっと神戸に来て会いましょうか?」ということで、3回くらい神戸の駅の近くのホテルで会いました。だけど、どういうわけなのか?それが未だに誰のツテで来られたのか?全然わからなかったんですけれども、その後、金丸さんが逮捕されたんですが、あの時点から全然遠藤さんから連絡が来なくなりました。
遠藤さんは、政治家の方から来たのか?どこから来たのか?外務省とも何か関係があったようで、主人が、何か外務省がおかしなことをしていると「そんなことしたら困る」って彼に文句を言いますと、明くる日必ず電話が入るんです。「あれはちゃんと生きています。水面下でちゃんと動いておりますから、必ず助け出しますから」と。
その時に第三国発言なさったんです。だから、森首相が第三国発言なさいましたよね?北京に連れてきてそこでと。あの時私は驚きませんでした。「遠藤さんとおなじこと言うてるわ」と思ったからです。
遠藤さんは「北京にね、娘さんを連れて来てもらって、お母さんたちにそこまで迎えに行ってもらって、それでお母さんたちと一緒に帰ったらいい、というようなかたちもとれるんですよ」とおっしゃいました。
最後にあの方は、ずうっと見てましたらね、「何かやっぱり行き詰っているような感じがするなぁ」「まったくこれでは解決しないなぁ」「何かあの人も、いつまでもこの人たちを自分が騙しているのはいかんなぁ」というように私は取れたんですね。そんなような気持ちでおってる違うかなぁ?と一見パッとしたんです。
最後にね、「とにかく手紙を書いてください。手紙を必ず持って行くルートがありますから、娘さんまで届けてあげますから」ということでしたので、もう差し支えのないことだけを書きました。家族全員一筆ずつでも、例えば妹たちは「元気にしてる?いつもこんなんだよ」と言ったり、長女はちょうど恵子が海外へ行く時に、子どもを身ごもってましたので、たぶん向こうも知っているんですね、「もう赤ちゃんできているだろうね?いっぺん会いたいわ」という手紙が着ていましたからね。ですから、「子どもは元気で大きくなっているよ」とか、いろいろなことを各自が、5人の子どもが書いて、私たち2人も書いて、そして送ったんですね。
それは、先ほども申し上げました「高沢皓司さん」という方が、初めて私どものところに訪ねて来られて、まぁ、震災の年なんですけれども、その時に「その手紙は私が託りました」とおっしゃいました。
「私が平壌に行きまして、田宮さんの手までは渡してきましたよ」って、田宮さんというのは「よど号」乗っ取り犯のリーダーですけれども、「この方までは渡してきましたよ」と。「それから先、娘さんの手に入ったかどうかはわかりませんけれども、田宮さんまでは届けてきました」っておっしゃいました。
それでその時に田宮さんは、「よど号の私たちの手で、20人くらいはこの国に連れて入っている。だからこれは私たちがここにおる間に、絶対に日本の国へ帰すようにせないかん!」っていうことを、田宮さんが言われたんですよ、ということは聞いております。それからまもなくして田宮さんは心臓麻痺で亡くなられました。私は「粛清されたのでは?」と今でも思ってますけどね。
続く
http://aoinomama.trycomp.net/
続き
私どもはその(『ウニタ書房』の)遠藤忠夫さんと1年あまりお付き合いしました。だけど北海道の方(石岡さん)は、ハッキリ申し上げたら「得体のわからない方だから、私のところはもう付き合いません」って「私はこのままでいきます」とおっしゃって、私どもはその方(遠藤忠夫氏)と1年以上お付き合いしました。
*松木信宏 『一通の手紙から全てが始まった...』 「蒼いことばの絆」より
http://blue-in-blue.com/column/006.html
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(引用)
母は私に『他人は勿論、親類、姉達にも一切話すな』とだけ私に命じた。石岡さんもウニタ書房・NHK記者たちの会見妨害以降、『マスコミ』に対して不信感をもった。若すぎた私は『沈黙』という、傍から見れば極めて後向きな姿勢でもって臨むしか選択肢がなかった。思いつかなかったというのが正解かもしれない。
(引用終わり)
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それで(遠藤忠夫氏に)「大阪に絵本を仕入れに行く」と言われたら、「ちょっと神戸に来て会いましょうか?」ということで、3回くらい神戸の駅の近くのホテルで会いました。だけど、どういうわけなのか?それが未だに誰のツテで来られたのか?全然わからなかったんですけれども、その後、金丸さんが逮捕されたんですが、あの時点から全然遠藤さんから連絡が来なくなりました。
遠藤さんは、政治家の方から来たのか?どこから来たのか?外務省とも何か関係があったようで、主人が、何か外務省がおかしなことをしていると「そんなことしたら困る」って彼に文句を言いますと、明くる日必ず電話が入るんです。「あれはちゃんと生きています。水面下でちゃんと動いておりますから、必ず助け出しますから」と。
その時に第三国発言なさったんです。だから、森首相が第三国発言なさいましたよね?北京に連れてきてそこでと。あの時私は驚きませんでした。「遠藤さんとおなじこと言うてるわ」と思ったからです。
遠藤さんは「北京にね、娘さんを連れて来てもらって、お母さんたちにそこまで迎えに行ってもらって、それでお母さんたちと一緒に帰ったらいい、というようなかたちもとれるんですよ」とおっしゃいました。
最後にあの方は、ずうっと見てましたらね、「何かやっぱり行き詰っているような感じがするなぁ」「まったくこれでは解決しないなぁ」「何かあの人も、いつまでもこの人たちを自分が騙しているのはいかんなぁ」というように私は取れたんですね。そんなような気持ちでおってる違うかなぁ?と一見パッとしたんです。
最後にね、「とにかく手紙を書いてください。手紙を必ず持って行くルートがありますから、娘さんまで届けてあげますから」ということでしたので、もう差し支えのないことだけを書きました。家族全員一筆ずつでも、例えば妹たちは「元気にしてる?いつもこんなんだよ」と言ったり、長女はちょうど恵子が海外へ行く時に、子どもを身ごもってましたので、たぶん向こうも知っているんですね、「もう赤ちゃんできているだろうね?いっぺん会いたいわ」という手紙が着ていましたからね。ですから、「子どもは元気で大きくなっているよ」とか、いろいろなことを各自が、5人の子どもが書いて、私たち2人も書いて、そして送ったんですね。
それは、先ほども申し上げました「高沢皓司さん」という方が、初めて私どものところに訪ねて来られて、まぁ、震災の年なんですけれども、その時に「その手紙は私が託りました」とおっしゃいました。
「私が平壌に行きまして、田宮さんの手までは渡してきましたよ」って、田宮さんというのは「よど号」乗っ取り犯のリーダーですけれども、「この方までは渡してきましたよ」と。「それから先、娘さんの手に入ったかどうかはわかりませんけれども、田宮さんまでは届けてきました」っておっしゃいました。
それでその時に田宮さんは、「よど号の私たちの手で、20人くらいはこの国に連れて入っている。だからこれは私たちがここにおる間に、絶対に日本の国へ帰すようにせないかん!」っていうことを、田宮さんが言われたんですよ、ということは聞いております。それからまもなくして田宮さんは心臓麻痺で亡くなられました。私は「粛清されたのでは?」と今でも思ってますけどね。
続く
これは メッセージ 184752 (aoinomama13 さん)への返信です.