韓国における拉致被害者
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/02/15 22:28 投稿番号: [179248 / 232612]
朝鮮戦争中の3年間に北朝鮮に連行された人の数は、(なんと)82,959人。
朝鮮戦争休戦後(1953年)、2000年までの間に韓国政府発表で486人が拉致され
ている。そのうちの425人(9割)は漁船の拿捕によるもの。
拿捕された漁船員の総数は3,692人でそのうち3,267人が韓国に返されている。
しかし、北は「拉北者などというものは存在しない。南から北に行った人間はすべて自分の意志に基づいている」という立場である。
「拉致 異常な国家の本質」(特定失踪者問題調査会 荒木和博 著)から。
---------- 中略 ------------ -
●朝鮮戦争中の韓国民間人拉致について
北朝鮮による韓国民間人の強制徴募については、『陸戦史集4(朝鮮戦争2)釜山橋頭堡の確保』(陸戦史研究普及会・原書房)が詳しく伝えている。
北朝鮮軍の徴募は自発的な志願から強制借り出しまで、その段階ごとに様々な形態の、拉致に通ずるものが見られる。
以下、引用
「徴兵は(1950年、戦争開始直後の)7月中旬から始まった。最初は志願制で、応募資格は党員やかつて政治犯として投獄された者などの積極分子で、年齢も16歳から25歳までのものに限られ、少数精鋭主義であった。該当者はここで一旗揚げ用と,勇んで応募した.第一次募集である。
しかし、7月末になって兵員の損害が累増すると,第二次募集が始められた。今度は、群集決起大会の名目で参集させた青年たちに、独特の満場一致の形で義勇軍への参加を決議させ,その場で参加請願書に署名させ、年齢も30歳に延ばされた。
間もなく人が集まらなくなると、第三次募集に切り替え、部落や職場、学校単位に義勇軍応募者の歓送会などの名目で開き、集まった35歳までの青・壮年を強制的に志願させた。
そして、第四次には、『もう募集は終わった』と宣伝して、国民を安心させておき、不意に街頭に募集班を配置して、40歳までの男子を連行していった。やがて、昼間に出歩くものがいなくなると、第五次募集が始まった。
第五次は、いわゆる"青年狩り"と称されたもので家宅捜索を主体としたものであった。
こうして徴募された人は約47万人にのぼったという。」
これを読んで気づかれた方もおられると思うが、北朝鮮や韓国で言っている「強制連行」のイメージはこの第四次や第五次募集に近いものである。日本時代の徴用はこのようなものではなかった。日本を批判する南北の人々が語る「日帝の蛮行」というのは具体的な事実と言うより、自らが行ったことからイメージを作り上げている場合が少なくないように思える。
---------- 中略 ------------ -
韓国の休戦後拉致被害者の大部分を占める「拉北漁夫」の家族は1980年代までは冷戦構造の厳しい中におかれてきた。家族が北にいることにより、人質として工作活動に関与させられる可能性があるとして常に当局に監視されてきた。拉致された漁夫が一家の家長である場合も多く、家族は生計の途が断たれ、困窮したことにより被害者の妻が再婚せざるを得なくなるなどの自体も多数存在している。解放されて韓国に戻った被害者も工作員になった可能性があるとして監視対象になったという。
さらに、1980年代後半からのいわゆる「民主化」は北に対する警戒心を大幅に緩和する結果となった。本来ならこれで韓国人拉致被害者や家族に光が当てられて良かったはずだが、そうなったらなったで今度は対北宥和政策が台頭し、拉致問題が北朝鮮を刺激するという理由から社会問題化しにくくなってしまった。韓国政府の中には非公式な場では「わが国は486人も拉致されていながら南北関係のために黙っているのに日本はなぜ僅かな数の拉致被害者のことで騒ぐのか」とさえ口にする人間がいるのである。
---------- 以下略 ------------ -
いっときまえの日本は拉致被害者に対し、韓国ほどではないにしても、少なくとも温かくは無かった。
また松木薫さんが北朝鮮へ拉致されたと判明した当初は、日本の公安が松木さんの実家を監視していた。田口八重子さんのお兄さんに対しても同様に疑惑を持って接していた。
こうした過去を棚上げしてはいけない、と思う。そうだろ、禍錆。
それはともかくとして、「従軍慰安婦」にしろ、「強制連行」にしろ、自分たちが行った恥を日本に押し付けていて、「誇り」ってものがないのかな。
朝鮮戦争休戦後(1953年)、2000年までの間に韓国政府発表で486人が拉致され
ている。そのうちの425人(9割)は漁船の拿捕によるもの。
拿捕された漁船員の総数は3,692人でそのうち3,267人が韓国に返されている。
しかし、北は「拉北者などというものは存在しない。南から北に行った人間はすべて自分の意志に基づいている」という立場である。
「拉致 異常な国家の本質」(特定失踪者問題調査会 荒木和博 著)から。
---------- 中略 ------------ -
●朝鮮戦争中の韓国民間人拉致について
北朝鮮による韓国民間人の強制徴募については、『陸戦史集4(朝鮮戦争2)釜山橋頭堡の確保』(陸戦史研究普及会・原書房)が詳しく伝えている。
北朝鮮軍の徴募は自発的な志願から強制借り出しまで、その段階ごとに様々な形態の、拉致に通ずるものが見られる。
以下、引用
「徴兵は(1950年、戦争開始直後の)7月中旬から始まった。最初は志願制で、応募資格は党員やかつて政治犯として投獄された者などの積極分子で、年齢も16歳から25歳までのものに限られ、少数精鋭主義であった。該当者はここで一旗揚げ用と,勇んで応募した.第一次募集である。
しかし、7月末になって兵員の損害が累増すると,第二次募集が始められた。今度は、群集決起大会の名目で参集させた青年たちに、独特の満場一致の形で義勇軍への参加を決議させ,その場で参加請願書に署名させ、年齢も30歳に延ばされた。
間もなく人が集まらなくなると、第三次募集に切り替え、部落や職場、学校単位に義勇軍応募者の歓送会などの名目で開き、集まった35歳までの青・壮年を強制的に志願させた。
そして、第四次には、『もう募集は終わった』と宣伝して、国民を安心させておき、不意に街頭に募集班を配置して、40歳までの男子を連行していった。やがて、昼間に出歩くものがいなくなると、第五次募集が始まった。
第五次は、いわゆる"青年狩り"と称されたもので家宅捜索を主体としたものであった。
こうして徴募された人は約47万人にのぼったという。」
これを読んで気づかれた方もおられると思うが、北朝鮮や韓国で言っている「強制連行」のイメージはこの第四次や第五次募集に近いものである。日本時代の徴用はこのようなものではなかった。日本を批判する南北の人々が語る「日帝の蛮行」というのは具体的な事実と言うより、自らが行ったことからイメージを作り上げている場合が少なくないように思える。
---------- 中略 ------------ -
韓国の休戦後拉致被害者の大部分を占める「拉北漁夫」の家族は1980年代までは冷戦構造の厳しい中におかれてきた。家族が北にいることにより、人質として工作活動に関与させられる可能性があるとして常に当局に監視されてきた。拉致された漁夫が一家の家長である場合も多く、家族は生計の途が断たれ、困窮したことにより被害者の妻が再婚せざるを得なくなるなどの自体も多数存在している。解放されて韓国に戻った被害者も工作員になった可能性があるとして監視対象になったという。
さらに、1980年代後半からのいわゆる「民主化」は北に対する警戒心を大幅に緩和する結果となった。本来ならこれで韓国人拉致被害者や家族に光が当てられて良かったはずだが、そうなったらなったで今度は対北宥和政策が台頭し、拉致問題が北朝鮮を刺激するという理由から社会問題化しにくくなってしまった。韓国政府の中には非公式な場では「わが国は486人も拉致されていながら南北関係のために黙っているのに日本はなぜ僅かな数の拉致被害者のことで騒ぐのか」とさえ口にする人間がいるのである。
---------- 以下略 ------------ -
いっときまえの日本は拉致被害者に対し、韓国ほどではないにしても、少なくとも温かくは無かった。
また松木薫さんが北朝鮮へ拉致されたと判明した当初は、日本の公安が松木さんの実家を監視していた。田口八重子さんのお兄さんに対しても同様に疑惑を持って接していた。
こうした過去を棚上げしてはいけない、と思う。そうだろ、禍錆。
それはともかくとして、「従軍慰安婦」にしろ、「強制連行」にしろ、自分たちが行った恥を日本に押し付けていて、「誇り」ってものがないのかな。
これは メッセージ 178879 (dr_frozen_blue_margarita さん)への返信です.