シナとロシアの領土問題
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/02/01 02:32 投稿番号: [174219 / 232612]
清朝が滅んでからの近代中国における、主要な政治的指導者の中ロ間の「不平等条約」に対する態度には、それぞれ差がある。
1.蒋介石
1924年に中国とソ連があらためて締結しようとした新条約の重要な条項として、「中国政府と先のロシア帝国政府が交わしたすべての公約、条約、協定、議定書および契約等については、すべて廃止する」があった。ソ連側代表が交渉の途中で帰国したのでこの条約は成立しなかった。だが史料からわかることは、中華民国政府は清朝がロシアと結んだ不平等条約をすべて撤廃しようと試みたということである。こののち中華民国総統となる蒋介石もやはりソ連に対し中国に対する不平等条約は認められないという強硬な申し入れを行っている。
2.毛沢東
中国は、ソ連に援助を仰ぐ状況下であったにもかかわらず、1950年代に条約を締結する際に、ソ連側が両国の国境問題について言及しようとするのを極力回避しようとした。毛沢東は共産主義者であると同時に民族主義者でもあったからである。「新中国」は「旧政府」が外国と締結したいかなる不平等条約も認めないと、毛は語っている。1972年にニクソン米大統領と会見した時にも毛は、「ソ連は膨大な私たちの領土を奪った。その中にはロシア帝国によるものもあるし、ソ連が奪ったものもある」と発言している。しかしロシア人と交渉する際の毛は、実力の不足のため、この問題を“棚上げ”する措置を取った。
毛沢東はロシアとの過去の不平等条約を承認することを望まなかった。しかし彼の樹立した“新中国”で出版された地図ではロシアが奪取した144万平方キロメートルは中国の領土の外になっていた(これは現在でもそうである)。しかも未確定もしくは紛争中の国境を表示する際に国際的に慣用となっている点線ではない。ただ、ロシアに占領されている領域の地名を中国語名のまま表記している。例えば海参そう(やまかんむりに蔵)、伯力、庫頁島、海蘭泡、尼布楚、双城子、外興安嶺などで、ロシア人が後からつけた名称を用いていない。
3.訒小平
『訒小平文選』によれば、?は1989年5月に北京でゴルバチョフと会見した際、「今後我々は中ソ間の国境問題交渉において、ロシア帝国と清朝のあいだで結ばれた条約が不平等条約であること、ロシア帝国が不平等条約によって中国を侵害した歴史事実を認めるよう、ソ連に対して要求する」と述べた。この発言から、訒小平指導下でのソ連との領土交渉において、中国政府の主要な目的がソ連に従来の条約が不平等なそれであることを承認させるところにあったこと、この点においては譲歩しない姿勢であったことが明らかになる。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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