朴正熙元大統領の言い分は正しかった
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/01/21 00:35 投稿番号: [171474 / 232612]
>「日本が対南赤化工作の基地化している」
今思えば、日本こそ赤化されていたのだ。
1974年9月19日午後3時。朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領は大統領府で椎名悦三郎・日本特使と会った。
夫人の陸英修(ユク・ヨンス)女史が在日韓国人の狙撃手 文世光(ムン・セグァン)の銃弾に撃たれ死去してから35日後に、日本の陳謝特使を迎えたのだ。
この席で朴大統領の怒りが爆発した。
韓国側の捜査結果によれば、文世光の背後に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が存在しているのが明白だったが、日本側の捜査は総連の方には向かっていなかった。
1時間45分近く行われたこの日面談に、外交的修辞のようなものはなかった。
「これまで沈黙を保ってきたが…」と切り出した朴大統領は、胸の中にしまっておいた言葉を吐き出した。朴大統領は「日本政府が私たちを友邦と考えるなら、喪中にある大統領一家や国民が悲しみと怒りに満ちているこの時に…」とし、「日本が引き続き、こんな風な姿勢を取れば、友邦とは認められないのではないか」とした。
朴大統領は「(日本の姿勢は) 政治と外交、法律に関係なく、東洋の礼儀上、ありえない事」、「日本外務省には秀才やエリート官僚が集まっていると聞いたが、どうやってこのような解釈ができるのか」など、激しい言葉で日本を糾弾した。
「日本が対南赤化工作の基地化している」という言葉まで出た。
これは20日、政府が公開した「朴大統領・椎名特使面談要録」に記録された内容だ。外交通商部は毎年、30年が経った外交文書を公開している。今回公開された文書は、文世光事件(朴大統領狙撃事件) 関連の外交文書と、陸女史の争議などを含む計27件、11万ページ余だ。
公開された文書によると、74年8月15日に発生した朴大統領狙撃、陸女史死亡事件で、韓日関係は最悪の状況へと突き進んだ。
国内では日本が対韓テロリストの基地になっているという世論が高まったが、田中首相が訪中するなど、中国との国交正常化を希望していた日本は、北朝鮮側の総連に対する捜査に微温的だった。
韓国政府は総連に対する日本の態度を鮮明にしてくれるよう、強く要求した。しかし、日本は木村当時外相が8月29日の議会で、「韓国に対する北朝鮮の脅威はないということで理解している」とし、とむしろ反撃した。
9月11日、朴大統領は日本との交渉後、帰って来たチェ・ヨンチョル共和党議員に、「日本首相の親書には総連という言及が必ず盛り込まれるべき」とし、「日本が問題の本質を避けるとすれば、断交措置も辞さない」と述べた。
朴大統領は「中共だけが一番なのか。(日本と断交しても)安保、経済に問題ない」とも述べた。米国まで加わり、仲裁努力を傾けたあげく成立したのが、代表的な知韓派の椎名特使の陳謝訪韓だった。
椎名特使は朴大統領の怒りに「もっともなお話」と答えた。しかし、田中首相の親書には「総連」はなく、椎名特使が口頭で「問題の本質は総連の基本的な性格であるところ…」と言及した。
パク・ドゥシク記者
今思えば、日本こそ赤化されていたのだ。
1974年9月19日午後3時。朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領は大統領府で椎名悦三郎・日本特使と会った。
夫人の陸英修(ユク・ヨンス)女史が在日韓国人の狙撃手 文世光(ムン・セグァン)の銃弾に撃たれ死去してから35日後に、日本の陳謝特使を迎えたのだ。
この席で朴大統領の怒りが爆発した。
韓国側の捜査結果によれば、文世光の背後に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が存在しているのが明白だったが、日本側の捜査は総連の方には向かっていなかった。
1時間45分近く行われたこの日面談に、外交的修辞のようなものはなかった。
「これまで沈黙を保ってきたが…」と切り出した朴大統領は、胸の中にしまっておいた言葉を吐き出した。朴大統領は「日本政府が私たちを友邦と考えるなら、喪中にある大統領一家や国民が悲しみと怒りに満ちているこの時に…」とし、「日本が引き続き、こんな風な姿勢を取れば、友邦とは認められないのではないか」とした。
朴大統領は「(日本の姿勢は) 政治と外交、法律に関係なく、東洋の礼儀上、ありえない事」、「日本外務省には秀才やエリート官僚が集まっていると聞いたが、どうやってこのような解釈ができるのか」など、激しい言葉で日本を糾弾した。
「日本が対南赤化工作の基地化している」という言葉まで出た。
これは20日、政府が公開した「朴大統領・椎名特使面談要録」に記録された内容だ。外交通商部は毎年、30年が経った外交文書を公開している。今回公開された文書は、文世光事件(朴大統領狙撃事件) 関連の外交文書と、陸女史の争議などを含む計27件、11万ページ余だ。
公開された文書によると、74年8月15日に発生した朴大統領狙撃、陸女史死亡事件で、韓日関係は最悪の状況へと突き進んだ。
国内では日本が対韓テロリストの基地になっているという世論が高まったが、田中首相が訪中するなど、中国との国交正常化を希望していた日本は、北朝鮮側の総連に対する捜査に微温的だった。
韓国政府は総連に対する日本の態度を鮮明にしてくれるよう、強く要求した。しかし、日本は木村当時外相が8月29日の議会で、「韓国に対する北朝鮮の脅威はないということで理解している」とし、とむしろ反撃した。
9月11日、朴大統領は日本との交渉後、帰って来たチェ・ヨンチョル共和党議員に、「日本首相の親書には総連という言及が必ず盛り込まれるべき」とし、「日本が問題の本質を避けるとすれば、断交措置も辞さない」と述べた。
朴大統領は「中共だけが一番なのか。(日本と断交しても)安保、経済に問題ない」とも述べた。米国まで加わり、仲裁努力を傾けたあげく成立したのが、代表的な知韓派の椎名特使の陳謝訪韓だった。
椎名特使は朴大統領の怒りに「もっともなお話」と答えた。しかし、田中首相の親書には「総連」はなく、椎名特使が口頭で「問題の本質は総連の基本的な性格であるところ…」と言及した。
パク・ドゥシク記者
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.