李承晩、米国にソッポ向かれていた
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/01/18 22:11 投稿番号: [171178 / 232612]
第一次大戦後、米国は韓国なんか目じゃなく、日本を支持していたんだね。
米で独立活動した李承晩、米政府の冷淡な対応に失望
李承晩(イ・スンマン)元大統領は1919年8月、米ワシントンDCに欧米委員部を設立し、宣伝活動に注力した。その方法は大衆集会と講演活動、各種広報物配布、「韓国親友会」の結成などだった。
講演活動は李承晩、徐載弼(ソ・ジェピル)、鄭翰景(チョン・ハンギョン)と韓国で宣教活動に従事していたハルバートなどが行なった。広報物は「韓国摘要」など30〜40種に達した。韓国親友会は米国内21都市とロンドン、パリに拡大していたとし、2万5000人の会員を確保していたと主張している。
欧米委員部は米国内に親韓世論を醸成することで、米議会を動かし、これを基にウィルソン政権の対外政策にまで影響を与えようとした。しかし、こうした目標は達成できなかった。
李承晩と欧米委員部は1921年11月に開催されたワシントン会議に最後の期待をかけた。同会議には日英仏伊中など9か国の代表団が出席した。ワシントン会議は第1次世界大戦後のアジア太平洋の諸懸案について話し合うことになっていた。
韓国の民族主義者たちはワシントン会儀に極めて高い関心を傾けた。李承晩は「韓国代表団」を構成し、ワシントン会儀に韓国問題を上程するため総力外交を繰り広げた。
しかしワシントン会議の主催国である米国は韓国代表団の存在そのものを認めなかった。さらに米国は日本と新たな協力体制を構築することで、いわゆるワシントン体制を発足させた。
これにより3・1独立運動以降、持続してきた韓国民の米国に対する期待は失望と挫折感に変わった。その結果、大韓民国臨時政府における李承晩の立場は弱体化し、欧米委員部は長期間の低迷に陥ってしまった。
チョソン・ドットコム
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/171178.html