日本人と支那・朝鮮人の民族性は異質
投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2005/01/13 12:15 投稿番号: [170040 / 232612]
たとえ日本人の祖先の多くが大陸・半島出身だとしても日本人と支那・朝鮮人の民族性はまったく異なる。支那・朝鮮人は大昔から現在に至るまで中華思想に基づき一貫して日本人を蛮族として蔑んでいるが、日本人はこれに徹底的に反発してきた歴史を持つ。このような歴史があればこそたとえ同じ祖先をもつ民像だとしても民族性が異なってくるのは至極当然なこと。
日本人では想像もできないこの韓国ニュースは日本人と韓国人の民族性の違いを際立たせる。大リーグ入りを目指す日本人選手ならたとえどんなに評価が低くてもあえてメジャー入りを決断するだろう。低評価でメジャー入りした長谷川滋利投手はエンジェルスで中継ぎ登板の機会しか与えられないときも、毎日が楽しくて仕方がなかったと述懐しているが、努力の末、中堅投手としての評価を獲得した。低評価に対して実力で見返してやろうとするのが本当のプロ根性だと考えるのが日本人。
――――――――――
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/12/20050112000054.html
ホーム > スポーツ 記事入力 : 2005/01/12 17:05
入札制度に泣かされた国内プロ野球選手たち
「切ない片思い」
国内プロ野球のトップ選手が海外移籍の過程で味わった希望と挫折は「片思い」の一言に尽きる。
「国宝投手」から「国民的打者」まで、国内プロ野球を席巻したトップ選手の多くが海外移籍を試みたが、韓国野球を過小評価する海外球団の傲慢な反応に涙を飲んだ。
史上最高の投手として君臨した宣銅烈(ソン・ドンヨル/現サムスン監督)は日本の中日を引退した00年末、米大リーグのボストン・レッドソックス入りを打診したが、レッドソックスはトライアウトを通じた入団を条件に入れたため、断念せざるをえなかった。
その後、ポスティングシステム(入札制度)が韓国人選手の大リーグ行きを阻んできた。
ポスティングシステムによる大リーグ行きを目指した最初のケースがLGの李尚勲(イ・サンフン)だ。当時、絶頂期にあった李尚勲は98年3月、入札額60万ドルを突きつけられ、大リーグではなく日本の中日に移籍した。
斗山(トゥサン)の陳弼重(チン・ピルジュン)とサムスンの林昌勇(イム・チャンヨン)が相次いで涙を飲んだ02年は最悪の年として記憶されている。
当時、国内最高の抑え投手として君臨していた陳弼重は同年2月、ポスティングシステムによる大リーグ移籍を目指したが、入札に応じる球団はなかった。同年12月にも挑戦したが、最高入札額が2万5000ドルと、恥をかかされる結果となった。
林昌勇も「陳弼重ショック」の数日前、65万ドルという入札額に失望し大リーグ行きを断念した。
林昌勇は今回、日本に照準を合わせ、全盛期の投球を納めたビデオテープをソフトバンクホークスに送るなど積極的にアピールしたが、「送られてきたビデオは見たが、獲得はしない」と言われ、またも涙を飲んだ。
年間最多本塁打のアジア記録(56本)を持つイ・スンヨプも同じく冷遇された。イ・スンヨプはロサンゼルス・ドジャースから最低年俸50万ドルという条件を提示され、日本の千葉ロッテに移籍先を変更した。
『スポーツ朝鮮/キム・テヨプ記者』
日本人では想像もできないこの韓国ニュースは日本人と韓国人の民族性の違いを際立たせる。大リーグ入りを目指す日本人選手ならたとえどんなに評価が低くてもあえてメジャー入りを決断するだろう。低評価でメジャー入りした長谷川滋利投手はエンジェルスで中継ぎ登板の機会しか与えられないときも、毎日が楽しくて仕方がなかったと述懐しているが、努力の末、中堅投手としての評価を獲得した。低評価に対して実力で見返してやろうとするのが本当のプロ根性だと考えるのが日本人。
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http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/12/20050112000054.html
ホーム > スポーツ 記事入力 : 2005/01/12 17:05
入札制度に泣かされた国内プロ野球選手たち
「切ない片思い」
国内プロ野球のトップ選手が海外移籍の過程で味わった希望と挫折は「片思い」の一言に尽きる。
「国宝投手」から「国民的打者」まで、国内プロ野球を席巻したトップ選手の多くが海外移籍を試みたが、韓国野球を過小評価する海外球団の傲慢な反応に涙を飲んだ。
史上最高の投手として君臨した宣銅烈(ソン・ドンヨル/現サムスン監督)は日本の中日を引退した00年末、米大リーグのボストン・レッドソックス入りを打診したが、レッドソックスはトライアウトを通じた入団を条件に入れたため、断念せざるをえなかった。
その後、ポスティングシステム(入札制度)が韓国人選手の大リーグ行きを阻んできた。
ポスティングシステムによる大リーグ行きを目指した最初のケースがLGの李尚勲(イ・サンフン)だ。当時、絶頂期にあった李尚勲は98年3月、入札額60万ドルを突きつけられ、大リーグではなく日本の中日に移籍した。
斗山(トゥサン)の陳弼重(チン・ピルジュン)とサムスンの林昌勇(イム・チャンヨン)が相次いで涙を飲んだ02年は最悪の年として記憶されている。
当時、国内最高の抑え投手として君臨していた陳弼重は同年2月、ポスティングシステムによる大リーグ移籍を目指したが、入札に応じる球団はなかった。同年12月にも挑戦したが、最高入札額が2万5000ドルと、恥をかかされる結果となった。
林昌勇も「陳弼重ショック」の数日前、65万ドルという入札額に失望し大リーグ行きを断念した。
林昌勇は今回、日本に照準を合わせ、全盛期の投球を納めたビデオテープをソフトバンクホークスに送るなど積極的にアピールしたが、「送られてきたビデオは見たが、獲得はしない」と言われ、またも涙を飲んだ。
年間最多本塁打のアジア記録(56本)を持つイ・スンヨプも同じく冷遇された。イ・スンヨプはロサンゼルス・ドジャースから最低年俸50万ドルという条件を提示され、日本の千葉ロッテに移籍先を変更した。
『スポーツ朝鮮/キム・テヨプ記者』
これは メッセージ 169938 (rachi_yamero さん)への返信です.