>憲法九条は拘束具
投稿者: moriya99 投稿日時: 2005/01/03 14:01 投稿番号: [168696 / 232612]
>>
九条理由に戦争しないってのは病気で動けませんと言う言い訳みたいなもの。
戦わなくて済むかもしれないけど、他の事も出来ない。
>>
まあねえ、歴史って不思議ですよ。人間の人生のように…。
病気で苦しんでいたために、戦争に巻き込まれずに生き残った、ってこもあるから。
そして、戦争が終われば病気も治るみたいな…。
バブルのときの会社も同じ。前のバブルや、失敗で余力を失っていてバブルに参戦出来なかった。お蔭げで傷を殆ど負わずに済んだ。バブルの参戦しないのは、大変だったけどけね。回りはアザ笑うし、やりたい放題やっている連中の中で、我慢する、自制するって大変だしね。不自由なこともあるし。しかし、結局残った。
アザ笑っている連中が崩壊して行く中で…。
戦争というのは、厳しいツケがありますからね。
要するに「憲法9条」問題は、「我慢」「自制」「忍耐」をどう評価するか、ですよ。
日本も何も大国でなくてもいい。大国でなければ生きられないとも思わない。
生きていくのに必要な経済活動ができれば、後は平和と安定が欲しいだけ。
穏やかな生活が欲しい。子供を安心して育てられる社会が欲しいだけ。特別贅沢をしたいとも思わない。人を傷つけて、心を病みたくない。争って消耗したくない。
>憲法九条は拘束具
であるのは、当たり前ですね。もともと、憲法は為政者、指導者を見張るためにあるんですから。国民を縛るものじゃなくて、国民が為政者の暴走を防ぐために、考え出されているんですかね。
戦争は為政者が決めますが、戦争をするのも、命を賭けるのも国民の方なんですね。
為政者は暴走しますよ。為政者の暴走は、初期でないと止められないですわ。
金正日をみても、フセインをみても、分かりますね。為政者は物凄い明暗をもっている…。明だけみて油断すると、何が起こるか分からない。
それを担保しているのが、民主主義国家の憲法じゃないでしょうか。
はっきり言えるのは、日本が経済大国になれたのは、ひとえに平和憲法のお蔭ですね。アメリカの下に入ることによって可能になった平和憲法をフルに享受したからですね。
第二次世界大戦前までの戦争は、領土の奪いあい、今の戦争は、マーケットの奪いあいですね。
マーケットの確保は軍隊がいいのか、経済力がいいのか。
経済力の方がいい。それなら、金持ち喧嘩せず、ですね。忍耐ですわ。分の弁えですわ。なぜ、金持ち喧嘩せず、なのか、じっくり議論した方がいい。
戦争を美化せずに、考えるのは難しいんですね。負ける戦争…、戦争に負けることを考えて改憲を望んでいるいる人は何人いるか、ということでもありますね。
そして、勝った場合も傷を負う。「病気で動けません」と言っているのじゃなく、本当に動けなくなる、動けない人を抱える…。ジワジワと総力を落としていく…。戦勝の地位を守るのは、お金と労力の掛かるものです。やがて維持できなくなって、病人なのに戦争して滅びて行く。
その連鎖もあるんですね。
一病息災って状態の方がいいのかも。
まあ、大戦が遠のいていて、今、世界はなんだかんだと言っても、幸せです。その中で、日本は特に幸せな部類に属するでしょう。
紛争でくるんしている地域や、最貧国の状態を看過してはいれない。いけない。看過していては、自分たちの平和も穏やかな暮しも守れない。
自分の幸せが欲しいなら、人の幸せも考えないと、自分の幸せは守れない。それをしっかり見つめての改憲議論でないと、意味がないですね。馬鹿にされるとか、
何かを手に入れるのは、優位な立場で動くばかりが能じゃない。我慢が身を守ることもある…。その視点が大事じゃないですか。平和が身をまもり、全体を守るのは確かなこと。平和であれば、後進国も徐々によくなって行きます。誰かの犠牲で保たれたりしていない限り、平和は経済に寄与しますね。
今の時代は、曲がりなりにも、日本は後進国のことを考えて、援助できる立場にある。幸せなことですわ。軍事費負担の過重や軋轢の消耗や、戦争で失いたくないですね。それに我慢が必要なら、我慢も一つの選択なんですよ。
そして、我慢も悪いものじゃないですよ。スポーツをみると分かる。何か不自由な我慢がある…。それで面白くなり、ゲームという行為が可能になっている。
サッカーなど面白いですよ。一番、便利で強い手を使ってはいけない。大きな制限があるから、面白いし、豊なゲームになっている…。
九条理由に戦争しないってのは病気で動けませんと言う言い訳みたいなもの。
戦わなくて済むかもしれないけど、他の事も出来ない。
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まあねえ、歴史って不思議ですよ。人間の人生のように…。
病気で苦しんでいたために、戦争に巻き込まれずに生き残った、ってこもあるから。
そして、戦争が終われば病気も治るみたいな…。
バブルのときの会社も同じ。前のバブルや、失敗で余力を失っていてバブルに参戦出来なかった。お蔭げで傷を殆ど負わずに済んだ。バブルの参戦しないのは、大変だったけどけね。回りはアザ笑うし、やりたい放題やっている連中の中で、我慢する、自制するって大変だしね。不自由なこともあるし。しかし、結局残った。
アザ笑っている連中が崩壊して行く中で…。
戦争というのは、厳しいツケがありますからね。
要するに「憲法9条」問題は、「我慢」「自制」「忍耐」をどう評価するか、ですよ。
日本も何も大国でなくてもいい。大国でなければ生きられないとも思わない。
生きていくのに必要な経済活動ができれば、後は平和と安定が欲しいだけ。
穏やかな生活が欲しい。子供を安心して育てられる社会が欲しいだけ。特別贅沢をしたいとも思わない。人を傷つけて、心を病みたくない。争って消耗したくない。
>憲法九条は拘束具
であるのは、当たり前ですね。もともと、憲法は為政者、指導者を見張るためにあるんですから。国民を縛るものじゃなくて、国民が為政者の暴走を防ぐために、考え出されているんですかね。
戦争は為政者が決めますが、戦争をするのも、命を賭けるのも国民の方なんですね。
為政者は暴走しますよ。為政者の暴走は、初期でないと止められないですわ。
金正日をみても、フセインをみても、分かりますね。為政者は物凄い明暗をもっている…。明だけみて油断すると、何が起こるか分からない。
それを担保しているのが、民主主義国家の憲法じゃないでしょうか。
はっきり言えるのは、日本が経済大国になれたのは、ひとえに平和憲法のお蔭ですね。アメリカの下に入ることによって可能になった平和憲法をフルに享受したからですね。
第二次世界大戦前までの戦争は、領土の奪いあい、今の戦争は、マーケットの奪いあいですね。
マーケットの確保は軍隊がいいのか、経済力がいいのか。
経済力の方がいい。それなら、金持ち喧嘩せず、ですね。忍耐ですわ。分の弁えですわ。なぜ、金持ち喧嘩せず、なのか、じっくり議論した方がいい。
戦争を美化せずに、考えるのは難しいんですね。負ける戦争…、戦争に負けることを考えて改憲を望んでいるいる人は何人いるか、ということでもありますね。
そして、勝った場合も傷を負う。「病気で動けません」と言っているのじゃなく、本当に動けなくなる、動けない人を抱える…。ジワジワと総力を落としていく…。戦勝の地位を守るのは、お金と労力の掛かるものです。やがて維持できなくなって、病人なのに戦争して滅びて行く。
その連鎖もあるんですね。
一病息災って状態の方がいいのかも。
まあ、大戦が遠のいていて、今、世界はなんだかんだと言っても、幸せです。その中で、日本は特に幸せな部類に属するでしょう。
紛争でくるんしている地域や、最貧国の状態を看過してはいれない。いけない。看過していては、自分たちの平和も穏やかな暮しも守れない。
自分の幸せが欲しいなら、人の幸せも考えないと、自分の幸せは守れない。それをしっかり見つめての改憲議論でないと、意味がないですね。馬鹿にされるとか、
何かを手に入れるのは、優位な立場で動くばかりが能じゃない。我慢が身を守ることもある…。その視点が大事じゃないですか。平和が身をまもり、全体を守るのは確かなこと。平和であれば、後進国も徐々によくなって行きます。誰かの犠牲で保たれたりしていない限り、平和は経済に寄与しますね。
今の時代は、曲がりなりにも、日本は後進国のことを考えて、援助できる立場にある。幸せなことですわ。軍事費負担の過重や軋轢の消耗や、戦争で失いたくないですね。それに我慢が必要なら、我慢も一つの選択なんですよ。
そして、我慢も悪いものじゃないですよ。スポーツをみると分かる。何か不自由な我慢がある…。それで面白くなり、ゲームという行為が可能になっている。
サッカーなど面白いですよ。一番、便利で強い手を使ってはいけない。大きな制限があるから、面白いし、豊なゲームになっている…。
これは メッセージ 168603 (sadatajp さん)への返信です.