小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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天津条約

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/01/03 08:59 投稿番号: [168681 / 232612]
天津条約の要旨は、
「もし、朝鮮国に内乱や重大な変事があった場合、両国はもしくはそのどちらが派兵するという必要が起こったとき、互いに公文書を往復しあって十分に了解をとること。乱が治まったときは直ちに撤兵すること」ということであった。

この条約によって日本は「朝鮮の独立を保持」しようと考えた。

しかし、
朝鮮の李王朝はすでに五百年も続いており、官僚腐敗と国土の荒廃、更に清国・ロシアの脅威で国家が崩壊寸前で、自らの力で運命を切り開く能力はなかった。
その頃、朝鮮では東学の乱がはびこっていた、やがてそれは農民一揆の色彩を帯びてきた。

1894年(明治27年)6月2日「甲午農民戦争」が起こり、朝鮮政府軍を度々破り、朝鮮政府は宗主国清国に内乱鎮圧のための出兵を要請した。
日本は、もしこれを許せば、清国に先手を打たれ朝鮮における日本の発言権は永久に消え去るであろうと、出兵した。

その根拠となったのが1882年(明治15年)、朝鮮李王朝との間に結ばれた「済物浦条約」であった。
「済物浦条約」は「日本公使館警備のため兵員若干をおき、これを護衛する」とあった。

1894年6月12日、早くも日本軍は1個旅団を仁川に上陸させた、この兵力を楯に「清国への従属関係を絶ち、さらに日本軍の力によって清国軍を駆逐してもらいたいという要請をする。」よう朝鮮政府に働きかけたが、朝鮮政府は清国が日本よりはるかに強国であると信じていたため、この要求を受け入れることをためらっていた。

しかし、7月25日ついに朝鮮政府はこの要求に屈し、清国兵の駆逐を要請する公文書を出した。
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