牧野アジア局長ですか
投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2004/12/07 15:56 投稿番号: [161808 / 232612]
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1021 11・23横田さんご夫妻の講演(大阪)①
投稿者 小指 投稿日 2004/11/27 23:35
2004年11月23日ピースおおさか、リバティおおさか、ヒューライツ大阪三施設共同事業
【第一回拉致問題とアジアの平和・人権を考える集い】
司会者より、横田さんご夫妻の紹介
★横田滋さん講演「拉致問題の解決にむけて」★
大阪の皆様、こんにちは。祝日で行楽日和のところ、ご参集くださりありがとうございます。
めぐみは、新潟市の寄居中学でバトミントンを終え帰宅途中に行方不明になった。
海は近くにありますが、住宅街で行方不明になった。
まだ、バトミントンをしているのかと思い、体育館まで迎えに行った。
弟たちをつれて探しに出た。空き地、ホテル跡、神社、防風林など、しかし何も見つけられなかった。
学校にも連絡し、警察にも失踪届けをだした。
すぐに捜索が始まった。
めぐみは友達と三人で帰宅していた。それぞれと別れ、一人になって、学校から500mのところ、左に曲がると3〜4軒目が自宅ですが、シェパードは、家の近くの交差点から進まない。
犬はガソリンの臭いに弱いそうで、車で連れ去られたのだろうという事だった。
誘拐、身代金目的、事故、あらゆる面から捜索。録音、逆探知、覆面パトカーなどが配備された。しかし、遺留品も見つけられなかった。
翌朝から機動隊も出動し、大掛かりな捜索が始まった。
一週間後に公開捜査に踏み切った。
TVの人探し番組も4社に出たが、何の情報も寄せられなかった。
後に北の工作員の仕業だと分かったが、ミステリー、神隠しだと言われた。
警察の方も「犯行は繰り返されるから、少女の誘拐未遂でも起きれば・・・」と言われた。
平成9年参議院共産党議員秘書の兵本さんから電話をいただいた。
「情報を知らせたい。めぐみさんは北朝鮮にいる。議員会館へ来るように。」
めぐみの居場所がわかったことで、数日のうちに帰ってくると思った。
議員会館へ向かう途中、ふと富士山丸の紅粉船長のことを思い出し、
帰国までかなりの期間を要するのか?と思った。
「現代コリア」の石高さんの記事を見せられた。
『1977〜78年頃、13歳の少女が日本海側のどこかの都市で拉致された。工作員が連れて行った。
「朝鮮語を勉強すれば帰してやる」と言われ、一生懸命勉強したが、18歳頃に叶わないと知り精神に破綻を来たした。』
そういう事が書いてあったが、石高さんのこの記事は、新聞記事の範疇だった。
一箇所「双子の妹である」と書かれていた。めぐみは双子ではないが、双子の弟がいる。
このことは、新聞では報道されていないこと。
双子の弟か妹かというのは、工作員の記憶が薄れていたりして間違ったとも考えられた。
この3ヵ月後に、身代金を要求する電話があった。石高さんの記事を読んでかけてきたらしい。
犯人はすぐに捕まった。
産経新聞、現代コリア等の取材に、実名を上げるか悩んだ。実名を出さなければ、信憑性がない。
「現代コリア」の記事で、蓮池さんや奥土さんらと並んで、拉致被害者の中で一番最初に名前を出された。
北に「これだけの情報をつかんでいるんだぞ。」というメッセージだった。
国会で西村眞悟議員が橋本首相に質問した。
これで解決すると思った。
最初に新聞記事になったのは、1983年、サンケイが取り上げた。
昭和53年、日本海側の海岸で相次いでアベックが行方不明になった。
昭和55年、1月に「外国の諜報機関が関与している疑いがある。」と報道された。
昭和63年、参議院予算委員会で、アベック失踪、拉致未遂、李恩恵について説明された。
宇野首相が「拉致ならちゃんと措置を取る。」と発言した。
国会で取り上げられたんだから、政府が何とかしてくれるだろうと期待した。
騒ぐことで、北に居る子ども達が危険に晒されるかもしれないとも思った。
しかし、事実上放置されてきた。家族や国民が騒がなければ、政府は何もしてくれない。
牧野アジア局長は「たった10人くらいのことで騒いでいたんでは、国交が結べなくなる。」と言った。
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1021 11・23横田さんご夫妻の講演(大阪)①
投稿者 小指 投稿日 2004/11/27 23:35
2004年11月23日ピースおおさか、リバティおおさか、ヒューライツ大阪三施設共同事業
【第一回拉致問題とアジアの平和・人権を考える集い】
司会者より、横田さんご夫妻の紹介
★横田滋さん講演「拉致問題の解決にむけて」★
大阪の皆様、こんにちは。祝日で行楽日和のところ、ご参集くださりありがとうございます。
めぐみは、新潟市の寄居中学でバトミントンを終え帰宅途中に行方不明になった。
海は近くにありますが、住宅街で行方不明になった。
まだ、バトミントンをしているのかと思い、体育館まで迎えに行った。
弟たちをつれて探しに出た。空き地、ホテル跡、神社、防風林など、しかし何も見つけられなかった。
学校にも連絡し、警察にも失踪届けをだした。
すぐに捜索が始まった。
めぐみは友達と三人で帰宅していた。それぞれと別れ、一人になって、学校から500mのところ、左に曲がると3〜4軒目が自宅ですが、シェパードは、家の近くの交差点から進まない。
犬はガソリンの臭いに弱いそうで、車で連れ去られたのだろうという事だった。
誘拐、身代金目的、事故、あらゆる面から捜索。録音、逆探知、覆面パトカーなどが配備された。しかし、遺留品も見つけられなかった。
翌朝から機動隊も出動し、大掛かりな捜索が始まった。
一週間後に公開捜査に踏み切った。
TVの人探し番組も4社に出たが、何の情報も寄せられなかった。
後に北の工作員の仕業だと分かったが、ミステリー、神隠しだと言われた。
警察の方も「犯行は繰り返されるから、少女の誘拐未遂でも起きれば・・・」と言われた。
平成9年参議院共産党議員秘書の兵本さんから電話をいただいた。
「情報を知らせたい。めぐみさんは北朝鮮にいる。議員会館へ来るように。」
めぐみの居場所がわかったことで、数日のうちに帰ってくると思った。
議員会館へ向かう途中、ふと富士山丸の紅粉船長のことを思い出し、
帰国までかなりの期間を要するのか?と思った。
「現代コリア」の石高さんの記事を見せられた。
『1977〜78年頃、13歳の少女が日本海側のどこかの都市で拉致された。工作員が連れて行った。
「朝鮮語を勉強すれば帰してやる」と言われ、一生懸命勉強したが、18歳頃に叶わないと知り精神に破綻を来たした。』
そういう事が書いてあったが、石高さんのこの記事は、新聞記事の範疇だった。
一箇所「双子の妹である」と書かれていた。めぐみは双子ではないが、双子の弟がいる。
このことは、新聞では報道されていないこと。
双子の弟か妹かというのは、工作員の記憶が薄れていたりして間違ったとも考えられた。
この3ヵ月後に、身代金を要求する電話があった。石高さんの記事を読んでかけてきたらしい。
犯人はすぐに捕まった。
産経新聞、現代コリア等の取材に、実名を上げるか悩んだ。実名を出さなければ、信憑性がない。
「現代コリア」の記事で、蓮池さんや奥土さんらと並んで、拉致被害者の中で一番最初に名前を出された。
北に「これだけの情報をつかんでいるんだぞ。」というメッセージだった。
国会で西村眞悟議員が橋本首相に質問した。
これで解決すると思った。
最初に新聞記事になったのは、1983年、サンケイが取り上げた。
昭和53年、日本海側の海岸で相次いでアベックが行方不明になった。
昭和55年、1月に「外国の諜報機関が関与している疑いがある。」と報道された。
昭和63年、参議院予算委員会で、アベック失踪、拉致未遂、李恩恵について説明された。
宇野首相が「拉致ならちゃんと措置を取る。」と発言した。
国会で取り上げられたんだから、政府が何とかしてくれるだろうと期待した。
騒ぐことで、北に居る子ども達が危険に晒されるかもしれないとも思った。
しかし、事実上放置されてきた。家族や国民が騒がなければ、政府は何もしてくれない。
牧野アジア局長は「たった10人くらいのことで騒いでいたんでは、国交が結べなくなる。」と言った。
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これは メッセージ 161802 (ringo_pie04 さん)への返信です.