脳外ソース
投稿者: PAS_MAL 投稿日時: 2002/10/30 16:19 投稿番号: [16085 / 232612]
以下は産経新聞2000年02月11日朝刊記事である。
************************************************************************
占領行政と植民地行政は違うというかもしれないが、オランダの植民地行政の苛酷さはベルギーのレオポルド国王のコンゴ統治と並んで、世界史上に二大悪政として名高い。
ベルギーのレオポルド国王は天然ゴムの収穫にほとんど狂い、コンゴ川川上の先住民に、天然ゴムの樹液採取のノルマを課した。そしてノルマを果たせなかった先住民については、監督の先住民に手首から先を罰として切断させた。
このため、天然ゴムの樹液を運んで下ってくる船はそれぞれ船首に戦利品のように、大小さまざまの手首を吊り下げ、無数の手袋のように手のひらをはためかせて通過して行った、といわれる。
そして川上の森のなかでは、手を失った多数の先住民が何の薬も手当ても受けられず、のたうちまわって苦しんでいたのだ。そしてオランダがインドネシアで行った人権無視の圧制もこのベルギーのレオポルド国王といい勝負である。
オランダが東インド諸島において行ったのは「強制栽培法」と呼ばれた悪法で、一八三〇年、ベルギーの分離独立に伴う紛争で、財政上、大きな負担を背負い込んだオランダは、植民地経営による国際収支の改善を意図した。新総督をインドネシアに送り込み、全ジャワの住民の耕地に対し、稲作等の農作物の栽培を全面的に禁止した。農作物に代え強制的にサトウキビ、コーヒー、藍(インディゴ)など、欧州へ輸出すれば巨大な利益をもたらす熱帯の「商品作物」の栽培を命じた。これがすなわち「強制栽培法」と呼ばれた悪法である。
これは予定どおり巨大な利益を生み、本国は莫大な負債を解消するとともに余剰金で、鉄道業を賄い、産業革命を達成する。つまりオランダはインドネシアの犠牲において近代化に成功したわけである。
しかし強制栽培法を命ぜられたジャワ一帯はどうなったか。
水田耕作を禁じられたジャワ農民は、一八四三年から四八年にかけて大飢饉に苦しみ続ける。
あまりの悲惨な状況に一時中止されるが、その後も再び輸出用作物の栽培は強行され、ジャワ農村の疲弊はつい近年まで続いたのだ。
時代が違うといえば、それまでだが、伊藤潔著「台湾」(中公新書)によると、一九四四年(昭和十九年)、日本の植民地であった台湾の児童の就学率は九二・五%という「驚くべき高さ」であった。非識字率はゼロに近かったといって過言ではなかろう。
しかしオランダはインドネシア人に対し読み書きなど教育を施さないままに放置し、二十世紀初頭の五年間で、ジャワで中等教育を受けた者はわずかに二十五人(人口はジャワ島だけで三〇〇〇万人)、八十余名の県知事クラスで、オランダ語の読み書きができたのはわずか四人だけであった。
************************************************************************
追伸
参考に以下のサイトも御覧下さい。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A04.html
以下はその抜粋です。
************************************************************************
敗戦国日本の天皇に対しては謝罪を要求しておきながら、オランダの国王は350年もの間、過酷な植民地支配を続けたインドネシア国民に対しては一言の謝罪もせず、金銭的賠償にも一切応じていません。
今から5年前の1995年、オランダ女王がインドネシアを訪問した際にも、謝罪はおろか「植民地支配は互恵的であった」とのスピーチをして、インドネシア人民を憤慨させました。
それどころか、オランダはインドネシアの独立を許すにあたっては、まずその代償として、インドネシアはオランダに対して60億ドルを支払うこと、オランダ人がインドネシアに所有してきた農場などの土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用は弁済することなどをインドネシアに要求してきたのです。これがオランダの350年間にわたる植民地支配の決算の仕方でした。
************************************************************************
デマ・ヤラセ・捏造・左翼のプロパガンダでおおわれている朝日新聞ばっかり読んでると脳外ソースと脳内ソースの違いが解らなくなっちゃうよ。
************************************************************************
占領行政と植民地行政は違うというかもしれないが、オランダの植民地行政の苛酷さはベルギーのレオポルド国王のコンゴ統治と並んで、世界史上に二大悪政として名高い。
ベルギーのレオポルド国王は天然ゴムの収穫にほとんど狂い、コンゴ川川上の先住民に、天然ゴムの樹液採取のノルマを課した。そしてノルマを果たせなかった先住民については、監督の先住民に手首から先を罰として切断させた。
このため、天然ゴムの樹液を運んで下ってくる船はそれぞれ船首に戦利品のように、大小さまざまの手首を吊り下げ、無数の手袋のように手のひらをはためかせて通過して行った、といわれる。
そして川上の森のなかでは、手を失った多数の先住民が何の薬も手当ても受けられず、のたうちまわって苦しんでいたのだ。そしてオランダがインドネシアで行った人権無視の圧制もこのベルギーのレオポルド国王といい勝負である。
オランダが東インド諸島において行ったのは「強制栽培法」と呼ばれた悪法で、一八三〇年、ベルギーの分離独立に伴う紛争で、財政上、大きな負担を背負い込んだオランダは、植民地経営による国際収支の改善を意図した。新総督をインドネシアに送り込み、全ジャワの住民の耕地に対し、稲作等の農作物の栽培を全面的に禁止した。農作物に代え強制的にサトウキビ、コーヒー、藍(インディゴ)など、欧州へ輸出すれば巨大な利益をもたらす熱帯の「商品作物」の栽培を命じた。これがすなわち「強制栽培法」と呼ばれた悪法である。
これは予定どおり巨大な利益を生み、本国は莫大な負債を解消するとともに余剰金で、鉄道業を賄い、産業革命を達成する。つまりオランダはインドネシアの犠牲において近代化に成功したわけである。
しかし強制栽培法を命ぜられたジャワ一帯はどうなったか。
水田耕作を禁じられたジャワ農民は、一八四三年から四八年にかけて大飢饉に苦しみ続ける。
あまりの悲惨な状況に一時中止されるが、その後も再び輸出用作物の栽培は強行され、ジャワ農村の疲弊はつい近年まで続いたのだ。
時代が違うといえば、それまでだが、伊藤潔著「台湾」(中公新書)によると、一九四四年(昭和十九年)、日本の植民地であった台湾の児童の就学率は九二・五%という「驚くべき高さ」であった。非識字率はゼロに近かったといって過言ではなかろう。
しかしオランダはインドネシア人に対し読み書きなど教育を施さないままに放置し、二十世紀初頭の五年間で、ジャワで中等教育を受けた者はわずかに二十五人(人口はジャワ島だけで三〇〇〇万人)、八十余名の県知事クラスで、オランダ語の読み書きができたのはわずか四人だけであった。
************************************************************************
追伸
参考に以下のサイトも御覧下さい。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A04.html
以下はその抜粋です。
************************************************************************
敗戦国日本の天皇に対しては謝罪を要求しておきながら、オランダの国王は350年もの間、過酷な植民地支配を続けたインドネシア国民に対しては一言の謝罪もせず、金銭的賠償にも一切応じていません。
今から5年前の1995年、オランダ女王がインドネシアを訪問した際にも、謝罪はおろか「植民地支配は互恵的であった」とのスピーチをして、インドネシア人民を憤慨させました。
それどころか、オランダはインドネシアの独立を許すにあたっては、まずその代償として、インドネシアはオランダに対して60億ドルを支払うこと、オランダ人がインドネシアに所有してきた農場などの土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用は弁済することなどをインドネシアに要求してきたのです。これがオランダの350年間にわたる植民地支配の決算の仕方でした。
************************************************************************
デマ・ヤラセ・捏造・左翼のプロパガンダでおおわれている朝日新聞ばっかり読んでると脳外ソースと脳内ソースの違いが解らなくなっちゃうよ。
これは メッセージ 16080 (damedamefujitv さん)への返信です.