被害者は日本人だけではない
投稿者: komash0427 投稿日時: 2004/11/28 22:49 投稿番号: [160553 / 232612]
日本国内から北朝鮮へ拉致された在日朝鮮人たち。
「拉致と強制収容所」(朝日新聞社発行)からの引用
高敬美さん、剛さん
高敬美さん(1973年の失踪当時6歳)と高剛さん(同・当時3歳)の指定は、渡辺秀子さん(1941年6月5日生)と高大基さん(1927年9月5日生)の間に誕生した子である。大基さんは、秀子さんと結婚した当時、朝鮮総連の非合法活動組織とつながりを持つ北朝鮮の工作員として、自衛隊の機密などを探っていたとされる。秀子さんは、このことを知らずに結婚したのであるが、1973年に大基さんが突然行方不明になったため、母子3人で大基さんの勤務先とされる東京都品川区五反田のユニバーストレーディング株式会社の周辺を捜し歩いた。この会社で大基さんは、「在日特別行動隊」の初代リーダーとして、また朝鮮総連参加の朝鮮問題研究所室長として任務を果していたと見られる。
秀子さんは、夫の行方を追っていくうちに同社が表向き貿易業ではあるが、実は北朝鮮が日本において秘密工作活動を行う在日特別行動隊の工作活動のための会社であることを突き止める。この事実が明るみに出るのを恐れた在日特別行動隊のリーダー(使命不祥)は、数人の部下と共謀の上秀子さんと二人の子供を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁した。そして同年12月中旬頃、秀子さんの首を絞めたうえアイスピックで身体を刺して殺害したのである。さらに彼らは、秀子さんを殺害した後、敬美さんと毅さんの両名を北朝鮮に移送することとし、二人を袋詰めにして車に積み、目黒区のマンションの地下駐車場から新潟港へ運んだうえ、北朝鮮行きの貨物船に載せて国外へ移送した。
この事件については、まず1984年頃、神奈川県警が元朝鮮総連幹部より事件の情報を得て捜査したことがある。当時の担当刑事は、秀子さんの母渡辺ゆきよさん(2003年死亡)に対し、失踪した渡辺秀子さんからその後連絡がなかったかと電話で問い合わせをしている。
ついで1988年5月、兵庫県警がよど号犯の柴田泰弘を逮捕した際、これをかくまった夫婦がユニバーストレーディング株式会社に勤務していたことから、本件について再び捜査した経緯がある。ユニバーストレーディング株式会社は1971年6月30日に設立され、東京都品川区西五反田に本店を置き、デジタル時計、レーザープリンター、カメラなどを扱う貿易会社であった。そして輸出入の営業業務・総務・経理を行う社員の多くは人材派遣会社から雇い入れたものを従事させ、表向きは普通の民間会社を装っていた。なお同社はすでに解散している。
なお、本件犯行に及んだ氏名不祥者らはいずれもすでに北朝鮮へ向けて出国したと考えられる。
高さんに関する情報は、ジャーナリストの石高健次氏によって明らかにされたものである。
金田竜光さん
金竜光さんこと金田竜光さん(1952年12月12日生)は、1978年末頃から79年6月頃までの不祥日時に、本人の意思に反して北朝鮮に移送された疑いが強い。
この指示をしたのが、当時、北朝鮮政府の非公然組織「洛東江」の責任者であった曹廷楽である。曹は、北朝鮮政府および挑戦労働との指示に基づき、当時神戸市東灘区に暮していた竜光さんを日本国外に移送する目的で誘拐することを企て、「洛東江」野メンバーであった韓竜大(元ラーメン天「来大」経営者)に指示して竜光さんを成田空港から出国させ、ウィーンおよびモスクワを経由して、北朝鮮へ移送したとされる。
金竜光さんは、同じく北朝鮮へ拉致された田中実さんと交流があった。田中さんは2002年10月クアラルンプールで行われた日朝交渉で、日本政府により北朝鮮の拉致被害者と認定された人物である。竜光さんは、田中さんと同じ時期に神戸市内の養護施設「双葉学園」で過ごし、1968年に同学園卒園後、二人は1978年から79年にかけて韓が経営するラーメン店「来大」で働いていた。
田中さんは1978年6月ごろ、ウィーンに誘い出され、北朝鮮に拉致されたのであるが、その後、曹、韓らは田中さんを利用して竜光さんをウィーンに誘い出し、同様に北朝鮮に拉致したのである。その経緯については、当時、竜光さん、田中さん、および韓との交流があった光田幸子さんが、1979年、ウィーンの田中さんから竜光さんを誘い出す手紙が来ていたことを証言している。
「拉致と強制収容所」(朝日新聞社発行)からの引用
高敬美さん、剛さん
高敬美さん(1973年の失踪当時6歳)と高剛さん(同・当時3歳)の指定は、渡辺秀子さん(1941年6月5日生)と高大基さん(1927年9月5日生)の間に誕生した子である。大基さんは、秀子さんと結婚した当時、朝鮮総連の非合法活動組織とつながりを持つ北朝鮮の工作員として、自衛隊の機密などを探っていたとされる。秀子さんは、このことを知らずに結婚したのであるが、1973年に大基さんが突然行方不明になったため、母子3人で大基さんの勤務先とされる東京都品川区五反田のユニバーストレーディング株式会社の周辺を捜し歩いた。この会社で大基さんは、「在日特別行動隊」の初代リーダーとして、また朝鮮総連参加の朝鮮問題研究所室長として任務を果していたと見られる。
秀子さんは、夫の行方を追っていくうちに同社が表向き貿易業ではあるが、実は北朝鮮が日本において秘密工作活動を行う在日特別行動隊の工作活動のための会社であることを突き止める。この事実が明るみに出るのを恐れた在日特別行動隊のリーダー(使命不祥)は、数人の部下と共謀の上秀子さんと二人の子供を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁した。そして同年12月中旬頃、秀子さんの首を絞めたうえアイスピックで身体を刺して殺害したのである。さらに彼らは、秀子さんを殺害した後、敬美さんと毅さんの両名を北朝鮮に移送することとし、二人を袋詰めにして車に積み、目黒区のマンションの地下駐車場から新潟港へ運んだうえ、北朝鮮行きの貨物船に載せて国外へ移送した。
この事件については、まず1984年頃、神奈川県警が元朝鮮総連幹部より事件の情報を得て捜査したことがある。当時の担当刑事は、秀子さんの母渡辺ゆきよさん(2003年死亡)に対し、失踪した渡辺秀子さんからその後連絡がなかったかと電話で問い合わせをしている。
ついで1988年5月、兵庫県警がよど号犯の柴田泰弘を逮捕した際、これをかくまった夫婦がユニバーストレーディング株式会社に勤務していたことから、本件について再び捜査した経緯がある。ユニバーストレーディング株式会社は1971年6月30日に設立され、東京都品川区西五反田に本店を置き、デジタル時計、レーザープリンター、カメラなどを扱う貿易会社であった。そして輸出入の営業業務・総務・経理を行う社員の多くは人材派遣会社から雇い入れたものを従事させ、表向きは普通の民間会社を装っていた。なお同社はすでに解散している。
なお、本件犯行に及んだ氏名不祥者らはいずれもすでに北朝鮮へ向けて出国したと考えられる。
高さんに関する情報は、ジャーナリストの石高健次氏によって明らかにされたものである。
金田竜光さん
金竜光さんこと金田竜光さん(1952年12月12日生)は、1978年末頃から79年6月頃までの不祥日時に、本人の意思に反して北朝鮮に移送された疑いが強い。
この指示をしたのが、当時、北朝鮮政府の非公然組織「洛東江」の責任者であった曹廷楽である。曹は、北朝鮮政府および挑戦労働との指示に基づき、当時神戸市東灘区に暮していた竜光さんを日本国外に移送する目的で誘拐することを企て、「洛東江」野メンバーであった韓竜大(元ラーメン天「来大」経営者)に指示して竜光さんを成田空港から出国させ、ウィーンおよびモスクワを経由して、北朝鮮へ移送したとされる。
金竜光さんは、同じく北朝鮮へ拉致された田中実さんと交流があった。田中さんは2002年10月クアラルンプールで行われた日朝交渉で、日本政府により北朝鮮の拉致被害者と認定された人物である。竜光さんは、田中さんと同じ時期に神戸市内の養護施設「双葉学園」で過ごし、1968年に同学園卒園後、二人は1978年から79年にかけて韓が経営するラーメン店「来大」で働いていた。
田中さんは1978年6月ごろ、ウィーンに誘い出され、北朝鮮に拉致されたのであるが、その後、曹、韓らは田中さんを利用して竜光さんをウィーンに誘い出し、同様に北朝鮮に拉致したのである。その経緯については、当時、竜光さん、田中さん、および韓との交流があった光田幸子さんが、1979年、ウィーンの田中さんから竜光さんを誘い出す手紙が来ていたことを証言している。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.