小泉首相 考
投稿者: komash0427 投稿日時: 2004/10/08 20:35 投稿番号: [154130 / 232612]
作家の池宮彰一郎氏が小泉首相と対談したことがあるそうです。
その時にかわした話しを池宮氏が半藤一利氏に伝えた内容を昨年読みました(文芸春
秋だったかな)。
記憶を辿っているので間違っている点があるかもしれませんが、首相は、物事がどう
あるべきかということは、自分では判断をしないそうです。
意見を異にするもの同士を徹底して議論させて、出てきた結論や議論に勝った方の結
論を採用するのだそうです。
ここには、自分の考えを実現しようとすると、どうしても反対するものがでてきてし
まい、出来事の渦中に巻き込まれてしまう。
そしてその対応にエネルギーを費やされてしまうことが多いので、自分の考えに基づ
いた行動は慎みたいという思いがあるそうです。
政治の方向性は人に作らせて自分はその方向に進めていくというのが首相のスタイル
らしいです。(こんな内容だったと思います)
これをこの2年間の拉致事件と首相の行動に当てはめてみました。
まず、02年10月15日に5人が4半世紀ぶりに帰国。
外務省は一時帰国という約束をした(これは間違いないでしょう。「家族」と言う本
にも書かれています)。
ただそうした嘘の約束をしないと帰国させることをできなかったのではないでしょう
か?
もちろん約束通り北へ戻してしまっては、寺越さんと同じ状態になってしまいます。
その月の終わりに東南アジアで日朝交渉。150項目の疑問、矛盾を提示、日朝交渉は
決裂。
以後北は「5人を返せ」を連発。世論は9.17以降、北に更に大きく反発。
しかし外務省の方針は世論に批判されても変化なし。
外部のものには詳しくは窺い知ることはできませんが、その後の対北方針を巡って省
内では対立があったのではないでしょうか?
(対立がなかったら本当に困りますけど)
あれだけ批判に曝された田中均氏はその後局長から審議官へ「昇格」。これは「国交
樹立派」が主導権を固めたことを意味しませんか。
小泉首相が均氏の昇格させたわけではなく、外務省内の権力闘争の結果、田中均氏
が勝利し、審議官へ昇格したのではないのかな?
冒頭に触れたように、小泉首相は自分の決断ではなく、勝った方の結論に基づいて日
朝関係の外交に臨んだのでしょう。
その外交姿勢は融和姿勢、制裁はしない、金正日と話し合いをして解決する。そして
最後の目標は国交樹立。
(昨年5月頃に訪米中に対話と圧力を藪大統領と確認しあいましたが、その後の首相
の路線は対話オンリー)
再訪朝は外務省の「一時帰国」という約束を首相が「尻拭い」した面もあったと思い
ます。
ただ最近は、外務省の中でも実務者協議でなんら回答がないことへの焦りや憤りも高
まりつつあるようです。これは省内の「早期拉致解決派」ないしは「国交樹立路線見
直し派」が徐々に発言権を増しつつあるのかもしれません。
(こんなグループがあるのか、だれが中心人物なのか、まったく知りませんが。いた
ら応援してあげたい。)
首相のこれまでの対北思考というのは実は外務省が打ち出す方針と同じであるような
気がします。
冒頭のことが正しければ、首相は外務省へどうしろこうしとろと指示しているのでは
なく、外務省内で戦わされた激論の末の結論に首相は沿うように行動しているのでは
ないでしょうか?
その時にかわした話しを池宮氏が半藤一利氏に伝えた内容を昨年読みました(文芸春
秋だったかな)。
記憶を辿っているので間違っている点があるかもしれませんが、首相は、物事がどう
あるべきかということは、自分では判断をしないそうです。
意見を異にするもの同士を徹底して議論させて、出てきた結論や議論に勝った方の結
論を採用するのだそうです。
ここには、自分の考えを実現しようとすると、どうしても反対するものがでてきてし
まい、出来事の渦中に巻き込まれてしまう。
そしてその対応にエネルギーを費やされてしまうことが多いので、自分の考えに基づ
いた行動は慎みたいという思いがあるそうです。
政治の方向性は人に作らせて自分はその方向に進めていくというのが首相のスタイル
らしいです。(こんな内容だったと思います)
これをこの2年間の拉致事件と首相の行動に当てはめてみました。
まず、02年10月15日に5人が4半世紀ぶりに帰国。
外務省は一時帰国という約束をした(これは間違いないでしょう。「家族」と言う本
にも書かれています)。
ただそうした嘘の約束をしないと帰国させることをできなかったのではないでしょう
か?
もちろん約束通り北へ戻してしまっては、寺越さんと同じ状態になってしまいます。
その月の終わりに東南アジアで日朝交渉。150項目の疑問、矛盾を提示、日朝交渉は
決裂。
以後北は「5人を返せ」を連発。世論は9.17以降、北に更に大きく反発。
しかし外務省の方針は世論に批判されても変化なし。
外部のものには詳しくは窺い知ることはできませんが、その後の対北方針を巡って省
内では対立があったのではないでしょうか?
(対立がなかったら本当に困りますけど)
あれだけ批判に曝された田中均氏はその後局長から審議官へ「昇格」。これは「国交
樹立派」が主導権を固めたことを意味しませんか。
小泉首相が均氏の昇格させたわけではなく、外務省内の権力闘争の結果、田中均氏
が勝利し、審議官へ昇格したのではないのかな?
冒頭に触れたように、小泉首相は自分の決断ではなく、勝った方の結論に基づいて日
朝関係の外交に臨んだのでしょう。
その外交姿勢は融和姿勢、制裁はしない、金正日と話し合いをして解決する。そして
最後の目標は国交樹立。
(昨年5月頃に訪米中に対話と圧力を藪大統領と確認しあいましたが、その後の首相
の路線は対話オンリー)
再訪朝は外務省の「一時帰国」という約束を首相が「尻拭い」した面もあったと思い
ます。
ただ最近は、外務省の中でも実務者協議でなんら回答がないことへの焦りや憤りも高
まりつつあるようです。これは省内の「早期拉致解決派」ないしは「国交樹立路線見
直し派」が徐々に発言権を増しつつあるのかもしれません。
(こんなグループがあるのか、だれが中心人物なのか、まったく知りませんが。いた
ら応援してあげたい。)
首相のこれまでの対北思考というのは実は外務省が打ち出す方針と同じであるような
気がします。
冒頭のことが正しければ、首相は外務省へどうしろこうしとろと指示しているのでは
なく、外務省内で戦わされた激論の末の結論に首相は沿うように行動しているのでは
ないでしょうか?
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.