>>胡耀邦氏の民主的姿勢を評価
投稿者: kuecoe 投稿日時: 2004/10/05 22:08 投稿番号: [153739 / 232612]
>趙紫陽なんかどないなってるんでしょうね。
死んだと思っていたのですが、生存されているようです。
検索してみましたら、一番にでました。
“名誉回復”は未だならず [現代中国ライブラリィ]
趙紫陽
ちょう・しよう
Zhao Ziyang
1919
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元共産党総書記、国務院総理。河南省滑県出身。1932年共青団入団、38年入党。建国後は農村工作部長などを歴任。
65年、40代の若さで広東省党委第一書記。文化大革命では「陶鋳の走狗」と批判され、67年に失脚。71年に内蒙古自治区党委書記として復活。72年から広東省に復帰し、74年広東省第一書記。
75年から四川省第一書記、省長として経済改革に取り組んだ。農業請負制と企業自主権の拡大で大きな実績をあげ、「四川の経験」と評価される。79年中央政治局委員。
80年4月副総理として中央入りした。同年9月華国鋒に代わって総理就任。82年9月の12全大会で政治局常務委員。訒小平のバックアップのもと、胡耀邦総書記とのコンビで改革開放に取り組んだ。
87年1月、民主化運動への対応を批判され解任された胡耀邦総書記のを引き継いで、総書記代行。11月に総書記、中央軍事委第一副主席となる。同年の13全大会では、「社会主義初級段階論」を提起、沿海地区発展戦略を提起し、市場経済化を加速させた。
89年6月に起きた天安門事件では、民主化を要求する学生に同情的な姿勢を示したため、訒小平ら党の長老の主導の下、4中全会で総書記はじめ全ての職務を解任され失脚。江沢民が後継総書記となった。
しかし、胡・超と続いた改革開放路線は変わることなく、現在まで受け継がれている。趙の名誉回復は天安門事件の再評価とからむだけに微妙な問題だが、いずれ浮上するだろう。52年5月に日本を公式訪問している。趣味はゴルフ。
2003年4月末、「北京市の自宅で急死」との情報が、中国のウェブサイトに流れたが、香港紙などが相次いで否定し、翌5月、国務院弁公室が公式に死亡説を否定した。(2003年5月25日更新)
>そう言えばあの人は今?ウーなんとか、天安門の民主化の生き残り、確かアメリカに行ったんと違いましたっけ?
マーさんとか言う人もいました。パリに行った人もいたり、本当にどうしたんでしょう。
これは メッセージ 153722 (ringo_pie03 さん)への返信です.
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